全国的に桜の開花が始まり、いよいよ春本番。多くの出会いと別れが訪れる、人生の節目ともいえるこの季節。心に残るあの日の思い出には、美しく咲き誇る桜の姿があった──。
福島県飯舘村。ここには現在、約3000本もの桜の並木道があり、多くの人を楽しませている。桜を植樹したのは飯舘村に住む会田さん夫妻だ。
「地元の飯舘村に名所を作りたいと思って植え始めたのがきっかけです」と、話してくれたのは夫の征男さん(77才)。
「桜の植樹を始めたのはいまから25年前。桜のトンネルみたいになったらかっこいいなと(笑い)」
征男さんはかつて養蚕業を営んでおり、もともと桑畑だった7ヘクタールの土地に、桜を植えることを思いついた。しかしその最中、息子さんを交通事故で亡くす──会田さん夫妻は、息子さんへの追悼の思いも込めて、植樹本数を増やしていった。そしてその数が2000本に達した頃、東日本大震災が起きた──。
「私たちは隣の相馬市で避難生活をすることになりました。残してきた桜のことが心配で、毎朝のように避難場所から車で1時間ほどかかる飯舘村に行き、草刈りをして、夜に避難場所に帰る暮らしを続けていました。人がいなくなったので、イノシシがよく出るようになり、イノシシが桜の根元を掘り返すんですよ。その下にいる虫なんかを食べるためにね。掘られた桜は根から枯れてしまうので、とにかく気が気でなくて……」
会田さん夫妻が飯舘村に戻ったのは2017年のこと。桜は彼らの尽力で約7年もの間、その本数も美しさも守られたのだ。
「まだ震災前のようにはいきませんが、少しずつ住民も戻り、再びこの桜を楽しんでくれるようになりました。まだまだこれからですが、多くの人に楽しんでもらえるよう、これからも大切に育てます」
そう笑う征男さん。彼らの夢はかない、故郷の名所であり、復興のシンボルとなった桜並木。天国の息子さんも花見をしていることだろう。
母に届け!病院での花見
宮崎県の主婦・堺良子さん(53才・仮名)はかつて、母親と一風変わった花見を楽しんだという。
「私の住んでいる宮崎県日南市には、花立公園という桜の名所があります。母は毎年、そこへ花見に行くのを楽しみにしていました。でも、その年は春先に入院することになり、花見ができなかったんです。だいぶガッカリしていました」
毎年の楽しみがなくなって落ち込む母。何とかしてあげたかった堺さんは、せめて写真でも見せようと、花立公園へ行ったという。
「ところがその年は開花が早かったのか、すでに散っていたんです。途方に暮れていると、ちょうど青森県で働く息子から電話が。そのとき思い出したんです! 母が新婚旅行に父と訪れたという、弘前公園のことを。それで、息子に頼んで、弘前公園の桜を写真と動画に撮って送ってもらいました」
青森はこのとき、ちょうど桜が満開の時期だったという。