世界に類を見ない皇室の歴史をさかのぼると、はるか神話の世界にまで行き着く。そこから連綿と受け継がれてきた血脈は、今上天皇で126代にあたる。時代が移り過ぎ、人々の考えが変容する間に、社会における皇室の立ち位置も変わってきた。天皇家の長女の愛子さまと、秋篠宮家長男の悠仁さま──次代の皇室を担うおふたりを取り巻く状況も、大いに揺れている。
落ちついた性格で、幼少期から将来の天皇として「帝王教育」を受けられた天皇陛下とは対照的に、秋篠宮さまはわんぱくに育たれた。大学時代は護衛を振り切って友人と飲み歩き、カラオケでものまねを披露されたこともあったという。皇室ジャーナリストの山下晋司さんが指摘する。
「秋篠宮殿下は、学生時代の私的旅行の際、地元の首長等の挨拶は、『プライベートなので』とお断りになっていたそうです。一方、天皇陛下は『友人に迷惑がかからないなら』とお受けになっていたそうで、お考えの違いがうかがえます」
秋篠宮さまがいかに自由を求められていたかが伝わるエピソードだ。30年以上にわたって秋篠宮さまと親交のある、毎日新聞編集委員の江森敬治さんはこう語る。
「天皇を継ぐというのは本来、長男の役目です。子供の頃から長男は、将来、天皇になるのだという強い自覚を持ち、そして、成長します。親や家族、周囲の人たちも『将来の天皇』として期待を込めて見守ります。しかし、次男は違います。秋篠宮さまは『自分は一人の皇族として兄を支えるのだ』という気持ちで育たれたのだと思います。
現在、秋篠宮さまは皇位継承順位第1位の『皇嗣』というお立場ですが、おそらくご本人は、とても驚かれたことでしょう。まさか、自分が将来、天皇になる可能性があるとは、結婚した当時は、全然、思っていらっしゃらなかったはずです」
1990年6月、秋篠宮さまは「3LDKのプリンセス」紀子さまと結婚された。前年の婚約内定当時は、同年1月に崩御された昭和天皇の服喪期間中で「この時期の婚約はありえない」「皇太子さまより先の結婚は好ましくない」との異論もあったが、結婚は成就した。
1991年に眞子さん、1994年に佳子さまが生まれた。秋篠宮ご夫妻は子供の興味を伸ばして自主性を尊重する子育てを施し、眞子さんと佳子さまは「公」とともに「私」を重視する皇族として育った。