大河ドラマ『真田丸』は、真田勢が二度にわたって徳川の大軍をしりぞける上田城での攻防戦や、タイトルにもなった真田丸での攻防戦など、城を舞台にした合戦シーンがあり、いずれも工夫を凝らした殺陣が展開されている。時代劇研究家の春日太一氏が、『真田丸』の殺陣を担当した中川邦史朗氏にその秘話を聞いた。
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中川:上田合戦の時は監督からの絵コンテはなかったのですが、その代わりに大道具さんたちがいろいろな仕掛けを「これでもか」っていうほど作ってくれました。「中川さん、あそこから丸太が落ちます」「あそこのロープから石が飛んできます」と。
そうなりますと、そこには人を配置して穴に落ちたり石に当たって「わあっ!」となるリアクションをとってもらおうということになるわけです。そういう美術スタッフや大道具さんのイメージがあって、そこから「このカットを撮るならこういう方向からこうやられましょう」と手をつけさせていただきました。
──あの上田城は、いろいろな仕掛けが施されたセットでしたから。
中川:僕も最初に観た時は「おう、ここでやるのか!」と思いました。
──そうしたセットだからこその、新たに浮かんだ殺陣のアイデアもありましたか?
中川:少ない人数で真田側が城を守るための戦術で、城下町の大通りから二の丸に至る道がどんどん狭くなり、最後は一人ずつしか通れないようなセットだったんです。
その道の出口に辿り着いた徳川勢を8人ほどの農兵が取り囲んで槍で攻撃するときに、一人おきに「叩く」と「突く」を交互にする殺陣にしたんです。
──動きにもバリエーションが出てきて画が面白くなります。
中川:やられる側も上から叩かれるのを防ごうと思ったら、お腹があくから突かれてやられる。次は突いてくるなってお腹を守ったら、上から叩かれる。そうしたリアクションをしたり、周りの堀に落ちたり、様々なリアクションがいくつかできたので、面白かったんじゃないのかなと思います。