いまから40年前の1982年はアイドル全盛時代。同年にはシブがき隊、小泉今日子、中森明菜など多数のアイドルがデビューし、「花の82年組」と呼ばれた。その1人だった元アイドル・早見優(55才)に、当時を振り返ってもらった。
ハワイの三越でスカウトされて……
「少しだけオトナなんだ」──。
3才からアメリカのグアムやハワイで育ち、英語が堪能。小麦色の健康的な肌が魅力的だった早見優(「」内、以下同)。デビュー当時のキャッチコピー通り、ひときわ大人びた印象を与えた。そんな彼女のデビューはスカウトがきっかけだった。
「14才のとき、ハワイの三越にあるお好み焼きレストランを出た後、モデル事務所の社長に声をかけていただいたんです。“歌の仕事がしたい”と言ったら、東京のサンミュージックプロダクションを紹介してくださいました」
その後、単身帰国してレッスンを重ね、15才のときに『急いで!初恋』でデビュー。同期には、堀ちえみや小泉今日子、中森明菜、石川秀美、シブがき隊など、日本を代表するアイドルが名を連ねた。
「当時は『ザ・ベストテン』(TBS系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『歌のグランドショー』(テレビ朝日系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)、『レッツゴーヤング』(NHK)、『ザ・ヤングベストテン』『レッツGOアイドル』『ヤンヤン歌うスタジオ』(いずれもテレビ東京系)など歌番組が多かった。新人の私たちの楽屋は大部屋だったので、毎日のように同期の子たちと顔を合わせていました。みんな15〜16才ですから、まるで学校の教室のよう。メイクも自分でしていたので、髪をカールするドライヤーを貸し借りしたり、衣装の着脱を手伝ったり……。(小泉)今日子ちゃんが、“食べる?”って『ポッキー』をすすめてくれたことも。楽しかったですね」
82年組のウリは対応力と根性
アイドルたちの人気は個々のキャラクターもあるが、やはり楽曲が大きい。彼女も『夏色のナンシー』が、オリコンチャート7位にランクインした。
「曲は、アイドルと作曲家・作詞家の先生の共同作品。私は筒美京平先生や松本隆先生など多くの先生がたに曲を作っていただき、恵まれていました。
3か月に1回新曲をリリースし、その都度、百貨店の屋上やレコード店の店頭でプロモーションをしていました。当然、控室もないわけですから、どこでも着替えられるようになりましたし、すぐに本番のスイッチが入れられる。また当時はカンペがなかったので、歌詞を覚えるのも得意。ちょっと時間があけばすぐ仮眠をとれる特技もこの時代に身につきました(笑い)。そんな対応力と根性も私たち世代の特徴だと思います」
当時のアイドルたちが、現在も活躍しているのは、こういった素地があるからだろう。
「いまでもあの当時よく顔を合わせていたみんなとは連絡を取っています。今年は、(松本)伊代ちゃん(1981年デビュー)と(森口)博子ちゃん(1985年デビュー)とコンサートもします。いま練習しているのですが、当時のように切磋琢磨しながらも楽しくやっています」
「花の82年組」は今年デビュー40周年。多くのイベントが開催される予定だ。当時を思い出しつつ、コロナ禍で落ち込んだ心を元気にしたい。
取材・文/前川亜紀、番匠郁
※女性セブン2022年4月21日号