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2022.04.12 19:00
週刊ポスト
江戸川橋から池袋へ「水窪川」を遡る暗渠で感じる江戸時代から戦後までの歴史
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防災用の井戸/昭和41(1966)年まで大塚坂下町という町名だった住宅街の一角にある防災用の井戸。大塚から東池袋の一帯は井戸が多い。大塚5丁目19
護国寺境内の石橋/境内にはかつて湧水池から水窪川に注ぐ支流が存在し、石橋が架かっていた。すでに池も支流もないが、現在、その石橋は境内にある富士塚「音羽富士」の前に保存されている。護国寺に水源の一つがあったのは興味深い
神田川に注ぐ水窪川の合流口/江戸川橋の西側欄干前から公園方面を臨むと見られる。東側にあるのは弦巻川の合流口
湧き水/路地脇にそびえる小日向台(通称・久世山)の崖の擁壁からは湧き水が流れ出ており、水を受ける洗面器が置かれている。音羽1丁目2付近
路地/高台の下を蛇行する。「川の水を使い江戸時代後期に始まった製紙業が盛んだったエリアです」(本田さん)。音羽1丁目16、大塚1丁目11の境
今宮橋の遺構/今宮神社の鳥居と石段の前の道に残るのは、水窪川に架かっていた今宮橋の遺構。石橋だった橋の床部分が路上に埋め込まれており、かつて川が流れていたことを感じさせる。水窪川には十数の橋があったという
富士山広場と水窪川の碑/暗渠沿いの辻広場「富士山広場」。川を模したタイルをたどった先に「水窪川の碑」がある。東池袋5丁目30付近
水窪川の碑
水窪川 ※地図制作/本田創(電子国土web〈地理院地図〉を加工)