渋谷川と多くの支流があった「渋谷の暗渠」をさんぽ旅 街の発展をたどる
新宿御苑 下の池/渋谷川は昭和30年代に上流部が暗渠化された。新宿御苑などに水源を持ち、現在も御苑内の「下の池」付近で源流の一部が見られる(※開園状況は公式ホームページで要確認)
神宮前2丁目17と18の境付近/渋谷川の奥に架かる木造の橋が巌橋。橋の名は近くに住んでいた陸軍元帥・大山巌に由来。のどかな川沿いの風景は戦後しばらく続いたが、暗渠化後は道路に
巌橋 昭和28(1953)年頃
神宮前5・6丁目付近/この一帯は当時、穏田という地名で、ここを流れる渋谷川は穏田川と呼ばれていた。写真の穏田橋の銘板は現在の「キャットストリート」の橋跡付近に保存されている
穏田橋 昭和34(1959)年
渋谷リバーストリート/大正時代の渋谷川沿いには家屋が密集していた。1963年に暗渠化後は、下水道幹線に。現在の「渋谷ストリーム」前 稲橋広場周辺からその水面が現われる
渋谷駅付近の渋谷川 大正10(1921)年頃
渋谷1丁目24付近/現在の「レイヤード ミヤシタパーク」(宮下公園)付近を流れていた渋谷川の奥には宮益橋と東横百貨店(東急百貨店東横店の前身)があった。現在は再開発のための工事が進む
渋谷川と宮益橋 昭和32(1957)年
明治神宮 清正井/渋谷川の水源の一つ。「ここから湧いた水が流れ出て小さな川となり、かつてその川は竹下通りの裏手を流れて渋谷川に合流していました」(本田さん)。清正井は“土木の神様”と称される加藤清正が掘ったという伝説が残り、今も毎分約60㍑の澄んだ水が湧き出ている
小田急線沿いの河骨川 昭和31(1956)年/唱歌『春の小川』の舞台とされる河骨川は代々木4丁目の山内侯爵邸内の湧水池と初台1丁目の窪地の湧き水を水源とし、代々木八幡駅付近で宇田川に合流していた
東横百貨店屋上から眺めた原宿方面昭和26(1951)年/右側に流れるのが渋谷川。線路と渋谷川の間の空き地部分は後年、宮下公園になった。渋谷川は手前で宇田川と合流している
渋谷川 ※地図制作/本田創(電子国土web〈地理院地図〉を加工)