日本プロ野球史上に燦然と輝く金字塔が、1965年から1973年にかけて巨人が達成した9年連続日本一だ。王貞治、長嶋茂雄の「ON」を中心とした常勝軍団を束ねたのが川上哲治監督。無類の厳しさで知られたが、心遣いも超一流だったという。(文中敬称略)【全4回の第4回。第1回から読む】
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川上に人間的な温かみを感じたという証言も複数ある。中日、西鉄を経て1971年に巨人に移籍した広野功は、V7~V9まで巨人でプレーしたが、川上に温かく迎えられたことをよく覚えているという。
「キャンプ初日に夕食後、“マネージャーが“監督が呼んでいます”と言うんです。ついていくと川上さんがいて、“よう来てくれたな”と始める。そこでチーム状況をすべて話してくれるわけですよ。”うちは一塁に王がいる。外野は高田(繁)、柴田(勲)、末次(利光)がいる。
君を一塁や外野で使うわけにいかない。堀内(恒夫)から逆転満塁サヨナラ本塁打を打った勝負強さを買って、代打の切り札で使いたい“というわけです。複雑な気持ちでしたが、そこまではっきりと役割を示した監督はいなかった。凄い人だと思いましたね。こんな監督の下で野球ができるのは幸せだ。この監督のために頑張ろうと思いました」
川上からはゲーム前に必ず訓話があったという。広野は“どんな立場であっても喜んで働く。そういう人を私はちゃんと見ているし、世の中も評価していく”と話されたことが印象的だったという。
「ボクは代打という立場で聞いたが、それぞれの選手、あるいは裏方の人たちも自分の仕事と向き合える言葉だったのではないか。川上監督は裏方に常に声を掛け、チームが一丸となった。連覇をしていくのは、何か宗教的にリーダーについていくという気持ちがないとできないんだなと思いました」(広野)
V9巨人で遊撃手のレギュラーを務めた黒江透修も社会人から巨人入りした直後のキャンプをこう振り返る。
「キャンプ中に川上さんが直筆で女房に“ご主人は頑張っています。だから心配しないでください”と手紙を書いてくれた。妻帯者は女房に、独身者は両親に送ったようです。“哲のカーテン”とか、管理野球と言われますが、内部の者からすれば川上さんはものすごく気配りの人。ボクも公式の場以外では“親父さん”と呼んでいましたから」
常勝軍団を束ねる名将は、厳しさと優しさを兼ね備えていたのだ。
(了。第1回から読む)
※週刊ポスト2022年4月22日号