【書評】『共有地をつくる わたしの「実践私有批判」』/平川克美・著/ミシマ社/1980円
【評者】関川夏央(作家)
著者・平川克美はまだ二十七歳だった一九七八年、渋谷で翻訳サービスの会社を起業した。のちITに転じてシリコンバレーで会社を起こし、二〇〇一年、自治体のコンペに勝って秋葉原の地上五階地下一階のビルを借り受け「社長人生」をつづけた。
やり手に違いなかったが、新自由主義者ではなかった。『小商いのすすめ』『「消費」をやめる』といった著書を持つ彼は、その秋葉原の会社「リナックスカフェ」では、収益より仲間と共棲する居心地のよさ、外部にもひらいた「縁側」のような「オープンソースの運動」をめざした。
だがそれは「稼ぎ出そうと目論むビジネス」と必ずしも両立せず、結局六十五歳のとき財産をすべて投げ出して会社を清算した。「私有」と訣別するという意志表示でもあった。
二〇一四年、平川克美は生まれ故郷に近い品川区の商店街に喫茶店「隣町珈琲」を開店した。下町工場街の家族と隣近所の濃厚な人間関係を嫌って飛び出した彼は、父親の介護を契機として「隣町」に回帰した。長い遍歴であった。拡大と蓄積をもとより目指さない喫茶店は、いわば誰でも座れる「日のあたる縁側」のような場所、あるいは「共有(コモン)」の実践であった。
二〇二〇年、「隣町珈琲」は家主都合で移転を余儀なくされた。たまたまコロナ禍で廃業するライブハウスが近くにあった。地下一階の五十坪、従来の店の五倍の広さで賃貸料は妥当、居抜きに近い好条件だったが立ち退き料以外に手持ちがない。
改装に必要な千二百万円の半ばをクラウドファンディングに頼ることにした。何の見返りもない寄付だから、平川克美は中世の旅の僧、聖の「勧進」とそれに応じる「喜捨」になぞらえたが、たちまち必要な金額に達した。
現代の「共有空間」に対する著者の考えと実践、それに自らの「老い」の記述を重ねたこの「私小説的評論」は、「昭和」の記憶を持つ者にはことさら身にしみる。
※週刊ポスト2022年4月29日号