元メンバーたちが伝説の数々を明かした歴史ある日本映画史において、彼らほど脚光を浴びた「脇役」たちはいないだろう。車両に引きずられ、火だるまでプールに飛び込むことも厭わない。公私ともにどう猛そのものだった俳優集団「ピラニア軍団」を振り返る。(文中敬称略)【全4回の第1回】
「一番乱暴なのは誰だ?」
今から半世紀ほど前、高倉健(享年83)や鶴田浩二(享年62)らひと握りのスター俳優たちがスクリーンを彩った昭和の映画界において、「大部屋俳優」と呼ばれた脇役たちの処遇は決して恵まれてはいなかった。
雇用形態は整理されておらず、現場では常に半人前扱いで安月給。スター俳優たちの取り巻きとして撮影所に出入りし、なんとなく役者をやっている。すぐに辞める人も多かった。
しかし、そんな時代にひときわ異彩を放つ「脇役集団」が、東映の京都撮影所にいた。
いかつい顔で宵越しのカネを持たず、女が大好き。酒癖の悪さから大部屋の忘年会に呼んでもらえない。後に名優として知られるようになる川谷拓三(享年54)らが集って生まれた「ピラニア軍団」である。
軍団の「村長」として親しまれた映画監督の中島貞夫が振り返る。
「飲みながらケンカすることが日常茶飯事の連中だった。カネがなくなるといろんな人にたかって酒を飲み、京都撮影所に近かった僕の自宅にもしょっちゅう来ていた。
僕らが彼らのことを『まるでピラニアのような連中だな』と冗談を言っているうちに、『ピラニア軍団』と呼ばれるようになりました」
ピラニア軍団に名を連ねたのは、川谷拓三のほかに、室田日出男(享年64)、志賀勝(享年78)、岩尾正隆(79)、野口貴史(享年81)、小林稔侍(81)ら10数名。