昨年3月に発売されたコミックス『白木蓮はきれいに散らない』と『いいとしを』で、オカヤイヅミさんが第26回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。前者では「しんどい現実」を生きる女性3人の人生行路を、後者では父と2人暮らしを始めた息子の日常とコロナ禍の東京を描き、数々のメディアで取り上げられた両作。受賞を記念し、2作品の立ち上げの経緯や「孤独」や「死」について思うことなどをたっぷりと語った刊行時のロングインタビューを再配信します。
孤独死は、人が言うほど悪いものじゃない
――10周年おめでとうございます。
オカヤ:ありがとうございます。何かを乗り越えてきたとかはなく、ぬるっときちゃった感じですけど(笑)
――同時発売になった2作、面白かったです。装画もみずみずしくて。
オカヤ:よかったです。第一印象は大事ですもんね。
――今日は企画立ち上げの経緯やキャリアについてもお伺いできればと思っています。「女性セブン」の連載をまとめた『白木蓮はきれいに散らない』は印象に残るタイトルですよね。
オカヤ:子供の頃、実家の庭に白木蓮が生えていたんですけど、白木蓮の花びらって舌べろぐらい肉厚で、庭に落ちるとだいたい汚くなるじゃないですか。ボコボコした細長い実が庭中に落ちてきて、子供の頃は「毛虫」って呼んでました。で、食べられもしないし、登れるほど幹も太くないし、ポピュラーじゃないから人にも伝わりづらい木だなと。そんなことを思い出しながら描きました。
――オカヤさんは『おあとがよろしいようで』(文藝春秋)で、一貫して「死ぬのが怖い」と描かれていました。今回、「孤独死」を題材にされたのは、心境の変化があったからでしょうか?
オカヤ:自分が中年になって、「死」が身近になってきたこともありますし、友だちとも「孤独死って、人が言うほど悪くないんじゃないか」と話したことがあって。死んでから発見までに時間がかかると物理的に色々大変ってことさえなければ、みんな死ぬ時はひとりですよね。だったら、自分がひとりで死ぬときはどんな感じかなというところから考え始めました。
――物語は、高校時代の同級生3人が久しぶりに集まるところから始まります。この3人、考え方も社会的立場も違いますよね。
オカヤ:あえてバラバラにしたいなと思って、身近に居る人なんかも思い浮かべながら、想像しうる3パターンを考えました。こういうのを考えるのは楽しいです。
――描くのが難しいキャラクターなどは?
オカヤ:基本的には全員、自分の要素が入っているので難しいということはなかったです。というのもマンガを描く時、ここがこうなるから、ここではこういう人物を出してみたいな緻密な作り方はしていなくて。こういう状況になった時、この人ならどう思うかだけを描きたくて、場当たり的な作り方をしています。読む分には、大どんでん返しのミステリーとかも嫌いではないんですけど、自分が作る時は、神の視点になりすぎないようにしています。
――サトエ、マリ、サヨの3人の関係もリアルです。50代女性が同級生の死をきっかけに顔を合わせるようになる訳ですが、それぞれ今の暮らしがあって、「また会わなくなるんだろうな」と思っている感じとか。
オカヤ:友達って、それでいいと思うんです。ちょっと古い言い回しですが「ズッ友だよ」みたいなことをいうから苦しいんじゃないかなって。例えば、映画を観に行こうとなった時、あの人も好きそうだなと思ったら誘うとか、そんな関係の方がお互い自由でいられる気がします。