【書評】『占領期ラジオ放送と「マイクの開放」 支配を生む声、人間を生む肉声』/太田奈名子・著/慶應義塾大学出版会/4620円
【評者】平山周吉(雑文家)
東大に提出された博士論文をもとにした本書は、本来ならば週刊誌の書評欄にはふさわしくないかもしれない。それでも取り上げたいと思ったのは、テレビが出現するまでは最大の影響力を持つメディアだったラジオの、占領期の輝かしい「神話」に徹底的にメスを入れた一般書でもあるからだ。
八月十五日の玉音放送から始まったラジオの戦後は、「真相はこうだ」「真相箱」「質問箱」「街頭録音」といった名物番組を生んだ。そこではベートーヴェンの「運命」と共に日本の戦争の歴史が弾劾され、有楽町のガード下でパンパンたちの声が隠し録りされた。
少し冷静になれば、それらの放送のいかがわしさは想像できる。本書は新資料や貴重な音源を発掘し、執拗な分析を加えることで、占領軍主導により日米合作で作られ、「日本再建の方針を常に先廻りして」放送した番組であることが明らかにされる。マイクからの「洗脳」はいまだに残り、形を変えては今も続いているのではないか、と慄然とさせられる。
興味深い指摘は多い。なかでも第四章「「我々」の戦争責任を問う〈声〉」は、東京裁判の開廷に合わせて、「判決受け入れに向けた社会心理の形成」を目的に、「真相箱」では集中的に天皇と戦争に関する「投書」が取り上げられたと、核心を衝く。
「天皇陛下は真珠湾攻撃計画を御承知だったのですか」
「天皇陛下は平和を御軫念遊ばされたのに、我々は何故戦争に突き進んだのでしょうか」
開戦決定では東条英機と山本五十六がクローズアップされ、戦争に内心反対だった天皇は「国民の望み」に沿って開戦を容認した、と説明された。「軍閥」東条と国民を並べ、戦争責任と「ウォー・ギルド」を「我々」国民にまで拡散、転嫁させるレトリックであった。
本書は江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』のラジオ版である。なお第八章で、有楽町のガード下から発された「姐さん」の「人間」宣言は、もう一つの読みどころだ。
※週刊ポスト2022年5月6・13日号