幼い頃に戦中、戦後を過ごした人に、思い起こされる「人生最初のごちそう」。 日本が決して豊かではなかった時代、“最初の晩餐”は何であったのか。当時のエピソードと ともに、思い出の料理を完全再現。“おいしい”の記憶と共によみがえる物語とは──。昭和女子大学理事長・総長の坂東眞理子さん(75才)に聞いた。
お祝いの席には欠かせなかった郷土料理
坂東さんの一族は富山県立山町で、造り酒屋を営んでいた。祝いごとなどがあれば親戚や隣人を招き、料理でもてなすのが習わしで、新酒祝いの日などには実家にも大勢の人が集まった。なかでも毎年11月に行われる浄土真宗の宗教行事「報恩講」の際、各家庭での法要の後に振る舞われる「報恩講料理」は思い出に残るごちそうだという。
「近所の女衆も手伝って作る報恩講料理を大勢で食べるのは、まだ3才くらいだった私にとっても楽しい時間でした。たくさんのおかずが大きな鉢に盛られて並ぶのですが、私は特に定番のいとこ煮と柿なますが大好きでした」(坂東さん・以下同)
時期的に収穫祭の意味合いもあったことから、報恩講料理はめでたい料理の代表格。富山の人々にとっては、年に一度の最高の贅沢だった。
富山のいとこ煮は、しょうゆと昆布だしで煮込む。家庭によって具材は異なるが、実家では里いもと小豆に、厚揚げと大根、にんじん、ごぼうが加わるのが定番だった。柿入りのなますはほんのり甘く、子供にも食べやすい。
「私が小学校に上がる頃、日本は高度経済成長期に突入。ハレの日の食事も外食が一般化し、家で宴会をする機会は次第に減っていきました。富山でも、報恩講を行う家庭はかなり少なくなっているようです」
もはや廃れつつある故郷の味。しかし、皆で囲んだ懐かしい料理は、坂東さんの胸に焼き付いている。
【プロフィール】
坂東眞理子/1946年富山県立山町で、4姉妹の末っ子に生まれる。東京大学卒業後、1969年総理府に入省。男女共同参画局長や女性初のブリスベン(豪)総領事を務め、ベストセラー『女性の品格』(PHP新書)など著書多数。現・昭和女子大学理事長兼総長。
※女性セブン2022年5月12・19日号