幼い頃に戦中、戦後を過ごした人に、思い起こされる「人生最初のごちそう」。 日本が決して豊かではなかった時代、“最初の晩餐”は何であったのか。当時のエピソードと ともに、思い出の料理を完全再現。“おいしい”の記憶と共によみがえる物語とは──。漫才師・島田洋七(72才)に聞いた。
祖母と初めて会った日に一緒に食べた手料理
島田さんが佐賀県佐賀市に住む“がばいばあちゃん”ことサノさんに預けられたのは、小学2年生のとき。原爆の被害が色濃く残る広島で共に暮らしていた母親が、息子の教育環境を考えて下した決断だった。
「ほぼ初対面のばあちゃんと初めて食べたのが、高菜の油炒めと卵かけご飯でした。高菜の油炒めを有田焼の大皿から取り分けながら、『俺この人と暮らすんや』と実感が湧いたのを覚えています」(島田さん・以下同)
佐賀で待っていたのは、極めて質素な暮らし。器は当時の佐賀では当たり前に使われていた有田焼だったが、高菜や鶏は庭で育てたもの。そのほかの食料は、近くの多布施川の支流に流れてくる半分傷んだ野菜や果物を集めて使っていた。
「驚くほど貧乏でしたが、工夫を凝らして賢く生きていたし、冗談をよく言う面白いばあちゃんだったので毎日笑顔が絶えませんでした。僕が漫才師になるきっかけは、なんでも笑い飛ばすばあちゃんとの暮らしにあった気がしますね」と振り返る。
15才で広島に戻るまで、少年時代のほとんどを過ごした佐賀での生活は、島田さんにとって「普通では体験できない、ものすごく楽しい日々」であった。
高菜の油炒めは、約5mmに切った高菜漬けを一度洗って水気を切り、しょうゆと味の素、ごま油を加えて炒め、すりごまを振る。卵かけご飯は、麦が3割混じった白米に生みたての卵をのせてしょうゆをかけた、至極シンプルな一品。
【プロフィール】
島田洋七/1950年に広島県で生まれ、小中学校時代を佐賀で過ごす。80年代の漫才ブームを牽引した漫才コンビ「B&B」の一人。自伝的小説『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間書店)はシリーズ1000万部を超える大ベストセラーに。現在は51才のときに移住した佐賀で生活する。
※女性セブン2022年5月12・19日号