昭和を代表するスター・橋幸夫が、来年5月3日をもって歌手活動にピリオドを打つ─―。その知らせを聞いて居ても立ってもいられなくなったのが、『週刊ポスト』で「昭和歌謡イイネ!」を連載するクレイジーケンバンドの横山剣だ。激しく妖しくも華やかだった当時の芸能界のあれこれを、橋と横山が振り返る。【全5回の第5回。第1回から読む】
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横山:橋さんといえば、舟木一夫さん、西郷輝彦さんと並んで「御三家」と呼ばれました。先日、西郷さんは残念ながら、お亡くなりになってしまいましたが。
橋:御三家と一括りにされるけれど、僕と他の2人は、デビューの年が離れている。僕が1960年で、舟木君が1963年、西郷君が1964年。“橋に追いつき追い越せ”と、ライバルのプロダクションが探し当てた若者が彼らだったんです。
横山:おふたりの印象について聞かせてください。
橋:かわいいなと思うのは、テルの方だったね。彼は甘え上手なんですよ。一方、舟木は僕に対して、ライバル心をむき出しにしてましたね(笑)。
横山:三人三様のパワーで引っ張り合って、お互いを高めているように見えました。ただ、僕からすると、やっぱり存在感が図抜けていたのは、橋さんだったと思います。
橋:みんな忙しかったからね。僕らは、ほとんど仕事場でしか顔を合わせたことがありません。プライベートで酒飲みに行ったことなんか一度もないし。でも……弟のように思っていたテルがいなくなったのは、本当に淋しい。
横山:今年、西郷さんがこの世を去り、来年には橋さんが歌手活動から引退される。ひとつの時代の終わりを感じますね。
橋:僕、歌手は辞めますが、芸能活動自体はまだ続けるんですよ。この4月からは、新しいチャレンジを始めました。
横山:興味深いですね。
橋:大学生になったんです。京都芸術大学の通信教育課程に新設された書画コースに入学しました。僕は多忙で、高校にはほとんど通えず、卒業証書も母親が代わりに受け取ってきたぐらいですから、高等教育には憧れがある。今後の大学生活を、思う存分楽しみたいですね。
横山:橋さんと一緒の空間にいると、細胞のひとつひとつが、躍動している様子が伝わってきますよ。人生の大先輩として、これからも橋さんを見習ってまいります!
(了。第1回から読む)
【プロフィール】
橋幸夫(はし・ゆきお)/1943年、東京都荒川区生まれ。1960年に『潮来笠』でデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。『いつでも夢を』、『霧氷』で2度の日本レコード大賞受賞。現在、“最後のコンサートツアー”で全国を回っている。
横山剣(よこやま・けん)/1960年、横浜出身。1981年にクールスRCのヴォーカル兼コンポーザーに抜擢されデビュー。1997年春、地元本牧にてクレイジーケンバンド結成。これまでに数多くのアーティストにも楽曲を提供している。
構成/下井草秀 撮影/内海裕之
※週刊ポスト2022年5月6・13日号