幼い頃に戦中、戦後を過ごした人に、思い起こされる「人生最初のごちそう」。 日本が決して豊かではなかった時代、“最初の晩餐”は何であったのか。当時のエピソードと ともに、思い出の料理を完全再現。“おいしい”の記憶と共によみがえる物語とは──。アパホテル社長の元谷芙美子さんに聞いた。
子供時代のごほうびは大好物のいか
父親の給料日や勉強をがんばったときなど、特別な日には、近くの鮮魚店の新鮮な魚介類が食卓に上った。
「母の遠い親戚が地元で『花口屋』という鮮魚店を営んでいて、そこのいかの刺身がとびきりおいしいの! 新鮮ないかのお刺身は、きれいに白く透き通っていて、吸盤なんて吸い付くくらい。大人になってから東京でいかのお刺身を食べたとき、『これ同じもの!?』と、驚いたものです」(元谷さん・以下同)
いまでもいかの刺身は「飛び上がるほど好き」だという元谷さん。
「母が魚を買いに行くときについていっては、お店の人にかわいがってもらいました」
【プロフィール】
元谷芙美子/1947年福井県福井市生まれ。福井信用金庫に入社、22才で結婚を機に退職。1971年に夫の元谷外志雄さんが起業した会社(現アパ株式会社)の取締役に就任する。1994年にはアパホテル取締役社長に就任し、『私が社長です。』の広告で名物社長となる。
※女性セブン2022年5月12・19日号