ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 その7」をお届けする(第1339回)。
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大逆事件(1910年〈明治43〉)の「主犯」にされてしまった幸徳秋水(秋水は号。本名は傳次郎)の主著とされる『廿世紀之怪物 帝國主義』には、桂─タフト協定で帝国主義に「参入」してしまったアメリカに対する厳しい批判がある。ここは原文を引用したいところだが、原文が書かれてから百年以上経過したのでとくに若い人にはわかりにくくなってしまった。たとえば冒頭の部分は次のような文章だ。
〈○盛なる哉所謂帝國主義の流行や、勢ひ燎原の火の如く然り。世界萬邦皆な其膝下に慴伏し、之を賛美し崇拜し奉持せざるなし。
○見よ、英國の朝野は擧げて之が信徒たり、獨逸の好戰皇帝は熾に之を鼓吹せり、露國は固より之を以て其傳來の政策と稱せらる、而して佛や澳や伊や、亦た頗る之を喜ふ、彼米國の如きすら近來甚だ之を學ばんとするに似たり。而して我日本に至つても、日清戰役の大捷以來、上下之に向つて熱狂する、悍馬の軛を脱するが如し。〉
獨逸はドイツ、好戰皇帝とは鉄血宰相オットー・ビスマルクを解任し自ら好戦的な政策を進めたヴィルヘルム2世のことで、佛は仏蘭西(フランス)、澳は澳太利(オーストリア)、伊は伊太利亜(イタリア)で、大捷は大勝利。「悍馬の軛を脱するが如し」は「暴れ馬が解き放たれたようなもの」という意味なのだが、若者にはやはり難解な文章になってしまったのかもしれない。
このあと幸徳は、源平の昔に「平家にあらずんば人に非ず」と豪語した平時忠を引き合いに出して、「帝国主義以外には価値が無い」と宣言しなければ政治家でも無く国家でも無い、それが現在の世界だ、と述べているのだが、当時は達意の名文だったものも百年以上経過すると、どうしてもわかりにくくなるのは否めない。そこで、ここから先は現代語訳(『二十世紀の怪物 帝国主義』山田博雄訳 光文社刊)を用いることにする。
前にも述べたように、米西戦争(1898年)当初、アメリカは敵国スペインに対抗するためフィリピン人のスペインからの独立運動を支援していたのに、スペインからフィリピンを「カネで買い取った」あとは手のひら返しでフィリピン人民を弾圧するようになった。憤激して幸徳は叫ぶ。
〈なぜ一方で、あんなに激しくフィリピン人民の自由を束縛するのか。なぜあんなに激しくフィリピンの自主独立を侵害するのか。
それは他国の人民の意思に反して、武力・暴力をもって押さえつけ、その土地を奪い、富をかすめ取ろうとする行為である。これは文明と自由の光に輝いている米国建国以来の歴史を、じつに甚だしく汚し、辱めることではないだろうか。そもそもフィリピンの土地と富を併合するのは、もちろん米国のためには多少の利益になるにちがいない。しかし利益になるからといって、そんなことをしてもいいのなら、昔の武士の切取強盗もまた、利益のために許される行為というのか。米国人は、彼らの祖先の独立宣言、建国の憲法、モンロー宣言を北米大陸ではない、どこか別の土地にでも置こうというのか。〉(引用前掲書)
この批判は、おそらく桂太郎も読んだろう。読んでいなくても、側近が必ずその趣旨は言上したに違いない。つまり、国民を団結させ日本を欧米列強と並ぶ一流国家に育て上げ、その過程でアメリカとも親交を深めようと考えていた桂にとって幸徳は大いなる邪魔者、そしてもっとも憎むべき敵になったのではないか。