【1993年の小沢一郎・連載第3回】宮澤喜一首相(当時)の「政治改革」発言は、小沢一郎、梶山静六そして自民党を唖然とさせた。迫る決戦の日。小沢が出した「答え」とは──。ジャーナリスト・城本勝氏がレポートする。(文中敬称略。第1回から読む)
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方向転換
一九九三年六月五日の土曜日。「土曜出勤」の当番だった私は、正午のニュースを見届けて国会議事堂の中にある「野党クラブ」を出て、どこで昼食をとろうかと考えながら、自民党本部がある平河町の交差点から赤坂見附に向けてブラブラと坂を下って行った。
弁慶橋を渡って赤坂プリンスホテルの入り口を過ぎると「紀尾井町戸田ビル」がある。その五階が小沢一郎の個人事務所だ。一階には前年、羽田孜と共に旗揚げした新派閥の事務所もある。土曜日には誰もいないことが多いのだが、ビルの前の駐車場に小沢のトヨタ・セルシオが停まっていた。本人が来ているのか。少し面倒くさいなと思いながら事務所を訪ねてみると、小沢がいた。
「何かあったのか」と逆に小沢に尋ねられた。
「いや、宮澤(喜一・首相)さんの『政治改革はやるんです』発言の後、先生は総理に協力すると態度を転換したと言われていますけど、本当かなと思いまして。というか、宮澤さんが頑張っても梶山(静六)幹事長も佐藤(孝行)総務会長も、全くまとめる気はないし、いくら総理でも、鶴の一声とはいかないんじゃないですか」
私はこのところ抱いていた疑問を聞いてみた。ジャーナリスト・田原総一朗のインタビューで宮澤が「政治改革はこの国会でやるんです」と発言した後、小沢はそれまでの姿勢を転換させて、宮澤に協力する姿勢を明確にしていた。
しかし、梶山ら党執行部は、この国会での法案成立は先送りし、延長なしで国会を閉じる方針を変えていない。
「そうだな。だが、総理・総裁がこうしたいと言うのを、党の執行部が何も聞かないというんじゃ、政党政治は成り立たない。また小沢の書生論だと言われるが、民主的に選ばれた総理が、権力を正当に行使するのは当然だ。むしろ権力を使わないで、大勢に従うだけというほうが問題だと思うよ。だから俺は、宮澤さんが本気でやるなら協力すると言ってきた。そこは変わってないさ。それでもダメなら政権を代えるしかないということだ」
小沢の話を聞いているうちに私は気づいた。要するに、正当性は宮澤に協力する羽田派の側にある。倒閣にせよ、離党・新党にせよ非は梶山執行部にあると明確にするのが狙いだ。選挙に不安を持つ若手議員のこともあるのだろう。
「しかし、国民には分かりにくいし、仮に自民党がまとまっても野党が乗ってくるでしょうか」
「さあ、それは野党の中の問題だろう。それより君は昼飯食ったのか。ソーメンがあるから食っていくか?」と小沢は言った。
話は終わり、という合図だ。そろそろ蒸し暑くなる季節に、近くの馴染みの料理屋が差し入れてくれたというソーメンをご馳走になった。事務所を出たところで衆議院手帖に「方針転換? 権力の正当性」と記しながら、随分前に似たような話を聞いたような気がしてきた。
あれはいつだったか……。