【書評】『娼婦の本棚』/鈴木涼美・著/中公新書ラクレ/946円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
〈私が退屈な身体を抱えてでも生き延びた理由があるとしたら、あるいは私の身体や日常がこれからさらにつまらなくなるとしても、何となく生きていくことに楽観的にいられるとしたら、それは言葉があるからだと思うのです〉
著者は一九八三年生まれ、ユニークな経歴を持つ。大学在学中にAV女優としてデビューし、そののちキャバクラなどに勤務しながら大学院で学んだ。修士論文はのちに『「AV女優」の社会学』として書籍化され、高い評価を得た。大手新聞社記者を経て、作家として活躍中である。
研究者の父と、児童文学研究者・翻訳家の母という家庭に生まれた彼女は、本が身近にあり、本を通じて母と対話をする幼少期を送った。やがて成長するにつれ、〈立派に不良娘〉となるのだが、同時に自分で本を選ぶようになる。〈自分の言葉の不足を補うように本を読み出した〉。夜の街に生きていたころも本はかたわらにあり、〈自分に見えている世界が必ずしも絶対的なものではないという予感は本が育ててくれた気がするのです〉。
本書はアドレッセンス(思春期)の中を突き進んでいく〈若いオンナノコ〉に向けて書かれた。ひりひりとした痛みを感じさせる切実な読書体験で、著者を〈ぬかるみから掬い上げてくれ〉た本との出会いが語られる。読書とは自分に向き合う孤独な時間でもあるけれど、孤独でなければ自分自身の言葉を得ていくこともできない。
紹介される本は多彩だ。岡崎京子『pink』、ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』、ジャン・コクトー『大胯びらき』、内田百ケン(ケンは門構えに月)『大貧帳』、佐野洋子『シズコさん』、金井美恵子『夜になっても遊びつづけろ』、井上ひさし『私家版 日本語文法』、ミヒャエル・エンデ『モモ』……。
愛とは、身体とは、性の商品化とは、お金とは、生きる時間とは何か。著者のさまざまな「問い」が読書によって深まり、広がっていく。自分だけの問いと言葉を見つけることは、この社会を生きぬく一つの方法なのだ。
※週刊ポスト2022年5月27日号