将棋界の頂点に君臨する藤井聡太竜王(19)は現在、イバラの道を歩んでいる。タイトルを保持する5つの棋戦で、4月から立て続けに防衛戦が始まっているのだ。まさに守備に徹する1年と言えるだろう。
最初の叡王戦はストレート勝利で防衛を果たした。次は6月3日に開幕する棋聖戦だが、難敵である永瀬拓矢王座(29)が挑戦者として登場する。現在、将棋界のタイトルホルダーは藤井、永瀬、渡辺明名人(38)の3人だが、藤井―永瀬のカードはタイトル戦では初めて。将棋ファン待望の一戦として、大きな注目を集めている。
2人は研究パートナーという間柄だ。2017年に藤井と非公式戦で対戦し、盤上没我の対局姿に感銘を受けた永瀬が申し込む。藤井が居住する愛知県に東京から出向き、練習将棋を指し続けてきた。2019年には永瀬が二冠に輝き、2020年から藤井の快進撃が始まった。まさに切磋琢磨の賜物だ。
普通、タイトルホルダー同士で研究会は行なわないが、2人は現在でもオンラインで定期的に指し続けている。
「藤井さんとの対局はかけがえのないものです。自分は藤井さんに何とかしがみついて、引き上げてもらいました。だから恩返しをしたいんです」と永瀬は力を込める。
恩返しとは、超ハイレベルな応酬を繰り広げ、藤井を高揚させることだ。最強棋士とのラリーについていける棋士は少なく、藤井にとっても永瀬は貴重な存在なのである。
永瀬は「厳しい戦いになるので、藤井さん以上の集中力で臨まなければとても勝負にならない」と気を引き締めるが、新年度に入って5戦全勝と好調だ。対して藤井は叡王の防衛を果たしたが、盤石と言える内容ではなく、負けの局面もあった。
藤井の持ち味は、中・終盤の正確性だ。序盤は相手に合わせる横綱相撲なので、そこを永瀬がうまく突けるかどうか。
永瀬は2~3月に棋王戦五番勝負で、将棋界最高の序盤巧者で戦略家の渡辺明棋王に挑んだ。1勝3敗で敗退したが、「棋王から学んだものは大きく、それを自分なりに消化して藤井さんにぶつけたい」と語る。今の好調ぶりからすれば、序盤でリードを奪えば藤井を一気に押し切ってもおかしくない。
棋聖戦では、藤井と永瀬の極限の読み合いが見られるはずだ。人間はここまで物事に没入できるのか、集中できるものなのか──。2人の対局姿を見ているだけで、得るものは多いと思う。(文中一部敬称略)
取材・文/大川慎太郎(将棋観戦記者)
※週刊ポスト2022年6月10・17日号