6月4日、中国で民主化を求める学生らを当局が武力弾圧した天安門事件から33周年のこの日。東京の中国大使館近くで50人近くが抗議デモを行なった。周辺を数十人の警察官が警戒する中、午前10時に一斉に「天安門虐殺を忘れるな」などと書かれた横断幕や旗、国旗を掲げ、「中国共産党は弾圧をやめろ」とシュプレヒコールをあげる。それを見守るように「スタッフ」の腕章をつけた男性がいた。それが芸人・小島よしお(41)の父親、孝之氏(74)であった。
「小島孝之と申します。『オッパッピー』の小島よしおの父です。これから集会(デモ)が始まりますのでよろしくお願いいたします」
物々しい雰囲気の集団から抜け出た白髪の男性が、柔和な笑顔でそう言った。居合わせた人はこう話す。
「急に白髪の男性が近づいてきたので、『ここで立ち止まらないで』などと言われるのかと思ったら、『オッパッピーの小島よしおのお父さん』だと挨拶されていたので、皆驚いていました。デモを見に来たのですが、それよりも小島さんのお父さんに興味が湧いてしまいました(笑)」
2時間ほどでデモを終え、次の集会場所に移動するグループと共に行動する孝之氏。抗議集会を主催したのは天安門事件後に亡命した元中国人学生の団体「民主中国陣戦」。午前、午後、夜と場所を変えてデモは行なわれ、孝之氏はそこに一日中付き添い、デモの仕切りに奔走していた。
抗議集会に参加していた理由、そして息子・小島よしおとの関係について、孝之氏に話を聞いてみた。
「私は(デモの)実行委員会の事務局長として5~6年前から携わっています。かつては主催団体が1000人、500人と集めていたのですが、段々少なくなってきて私たち日本人が加わってサポートするようになったんです」(孝之氏、以下同)
孝之氏は学生時代から政治に積極的に関わり続け、長年活動を続けてきたという。
「政治に興味を持つようになったのはテレビの影響でしょうね。小さいころに時代劇を見て悪代官が農民を苦しめる姿が許せないと思い、弱い者の味方になろうと思ったんです。それがはっきりと政治家を志したのは中学生のとき。教科書にゲーテの言葉で『政治家は経済も学問も芸術もありとあらゆるものを包括する職業』とあって、『これだ!』と思い、政治家を志すことに決めたんです。
資本主義では弱肉強食だから弱い人を助けることは大変だろうと思いました。さりとてソ連やナチスのような全体主義の共産主義では自由がない。資本主義でもなく全体主義でもない社会主義は何だろうと考えたとき、福祉国家を目指していたドイツ社民党やスウェーデン社民党という民主社会主義が自分の目指すものではないかと思ったんです。そこで進む道が決まりました」