フェイクニュース、マルチ商法、振り込め詐欺など、日常生活において、ウソやニセにまつわるニュースが溢れている。そうした事件やエピソードを目にするたび、「なぜあのようなウソに騙されてしまうのか理解できない」と疑問を感じる人が多いのではないだろうか。しかし、『フェイク~ウソ、ニセに惑わされる人たちへ』(小学館刊)を上梓した脳科学者の中野信子氏は、ウソやフェイクを心地よく美しく感じてしまうのが我々人間の脳の性質であり、「自分は騙されない自信がある」という人は逆に騙されやすい傾向があると指摘している。著者の中野さんに話を聞いた。
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──なぜ私たちはウソやフェイクに騙されてしまうのでしょうか。
中野:人間の脳は、論理的に正しいものより、認知的に脳への負荷が低い、つまり分かりやすいものを好むという性質をもっています。 脳は一言で言うと怠け者です。思考のプロセスでもできるだけリソースを使わないようにして、消費するエネルギーを節約しようとしています。
というのも脳は、酸素の消費量が人間の臓器の中で最も多く、その占める割合は、身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1です。ですから、基本的にあまり働かないように、つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し、酸素の消費を抑えようとするのです。
例えば脳は「処理流暢性が高い情報」を好みます。「処理流暢性が高い情報」とは、「簡単で分かりやすい情報」です。膨大・複雑でなく、整理されていて、一目瞭然、つまり考えなくて済む、脳が働かなくてよいということです。テレビの映像や、短く整理されたWebの「まとめニュース」などは、処理流暢性の高い情報です。どんなに正しい情報でも、冗長で複雑、処理流暢性が低いと、「何だろう? どういうことなのだろう?」と距離をとって考えますが、逆に多少自分の意思とはずれていても、短く分かりやすい言葉でズバリと言われると、「なるほど」と肯定してしまう。間違った情報だとしても、短いセンテンスでズバッと言うと、耳目に入りやすく納得してしまう。これは処理流暢性が高く、シンプルで理解しやすい情報に対し、脳に「好感」が生じている現象です。
つまり私たちは意外なほどウソに弱くできているのです。論理は強力なものではありますが、その運用には脳をそれなりに頑張って使わなければならないという罠があるのです。いずれにせよ、「脳は騙されたがっている」という性質があることは忘れずにいたほうがよいでしょう。
ウソは生き抜くために必要不可欠なもの
──私たちはウソやフェイクに騙され続けるしかないのでしょうか。
中野:信頼している人が自分にウソをついたことが分かると私たちは深く傷つき、悩み、相手とそして時には自分自身を責めてしまいます。
しかし、自分自身も数えきれないほどのウソをついているはずです。誠実であることを求められる一方で、私たちは自分たちが周囲から期待されている役割を演じ、その場にふさわしいウソをつき社会生活を送っています。お世辞や謙遜もウソと言えばウソかもしれません。けれども、ちょっとしたお世辞や謙遜もできなければ、何ともギスギスした会話になってしまうでしょう。実はこうした思いやりのウソ、礼儀としてのウソによって、人間関係が成り立っているのです。
つまり「ウソは、人が他人と一緒に生き抜くために必要不可欠なもの」ということになるのではないでしょうか。もしウソが人間にとって本当に「よくないこと」「不要なもの」であったのならば、この能力はとっくに退化して消失していることでしょう。人間はむしろ積極的に、ポジティブにウソを利用しながら、集団を保持し、人間関係を構築してきたとも言えるのです。
ウソという概念を完全に否定し排除するのではなく、何のためにウソをつくのか、なぜ騙されてしまうのかをよく考察する。そして有益なウソと悪意のウソがあるということを知り、ウソに対する目利きができるようになれば、ウソの手口を理解し、ウソに騙されるリスクヘッジができるようになると思います。
──組織ぐるみのウソいわゆる不正も後を絶ちません。
中野:企業の不正がなぜなくならないのかと言えば、共同体によってそれぞれの基準がある以上、片方から見れば不正であり、片方から見ると不正ではないという事象が生じてしまうからです。コンプライアンスやガバナンスといった言葉が言われて久しく、どの企業も、その法令遵守、企業統治の徹底に尽力していても、今なお企業による不正=ウソの事件が絶えないのはこうしたダブルスタンダードが存在するからでしょう。
そして残念ながら人間は基準が変わっても、その間を行ったり来たりできるようにつくられているのです。究極的な例を挙げると、戦場では人を殺すことが正義である。けれども平時においては、人を殺すことは許されない。そんなダブルスタンダード、トリプルスタンダードでも生きていけるようにつくられているのです。だから不正をなくすことは非常に困難なのです。
企業の中では、ウソをつくことが推奨される場面もあります。けれども、ウソをつくことが禁じられている場面もあります。どちらにも適応できるというのは、実は組織人としての資質の一つとされてきた部分があるのでしょう。
だからこそ企業の不正を防ぐためには、「不正をなくす」というスローガンを掲げるだけでなく、社内にどのようなダブルスタンダードが存在するのか、その背景を含め把握する必要があるでしょう。
メタ認知が弱いと騙されやすい
──本質的に騙されやすい人と、そうではない人との違いは何でしょう。
中野:大きな違いの一つは、騙されやすい人は「メタ認知」が弱いことです。メタ認知とは、「自分を俯瞰して見ること」です。「自分が認知していることを、客観的に認知すること」でもあります。
そもそも騙されないためには、「(自分を含めて)騙されない人間はいない」と思うことが大切で、これも「メタ認知」です。もし「自分だけは騙されない」と信じて疑わない人は、メタ認知が弱く、逆に騙されやすい傾向があると言えるでしょう。
メタ認知能力を高めるためには、まず、普段から自分を内観し、記録することをお勧めします。例えば日記をつけたり、メモをとったりするのもよいでしょう。自分の行動と、そのときどのように感じたのかをなるべく盛らずにありのまま記録するのです。重要なのは、たびたびその記録を読み返すことです。繰り返すことで、自分の性格や行動パターンが見えてくるでしょう。
すると、自分は正直者であり、なおかつ騙されにくいと思っていたのに、自分が意外にたくさんのウソをついていて、しかも、コロリと騙されやすい側面があったなどの気付きを得られるはずです。必要なのは、「人はウソをついてしまうものなのだ」、そして「騙されやすいものなのだ」と認めることです。
そしてそのウソがどんな性質をもち、何のためにつくウソなのか? 悪意のあるものとやむを得ないこと、思いやりのあるものとの違いを見極めつつ、うまく付き合っていくスキル・知恵こそ今の時代に求められるのではないでしょうか。