中日の立浪和義監督が4年目の根尾昂(22)を外野手から投手へ転向させる判断を下した。
プロ入り後に「投手→野手」の転向で成功したケースは少なくない。早稲田実業の王貞治(元巨人)、法政二の柴田勲(同)、報徳学園の金村義明(元近鉄ほか)はいずれも甲子園優勝投手だが、プロでは野手として開花した。だが、「野手→投手」の例は少ない。中日新聞関係者はこう言う。
「地元・岐阜出身で、高校時代は大阪桐蔭で春夏連覇を経験したスターだけに、親会社の中日新聞でも販売拡大につながるとの期待は大きく、なんとか一軍で使おうとしたが結果が出なかった。投手挑戦は最終手段でしょう。150キロのストレートが注目されているが、どこまで通用するかはわかりません」
1961年に中日に入団して“伝説の大エース”として活躍した権藤博氏は、「投手・根尾を見てみたいので、転向には賛成」としながらも、球団の起用法には疑問を呈した。
「私は入団当初から投手で起用すべきだと思っていました。甲子園の胴上げ投手ですから、プロでもまずピッチャーで勝負して、ダメなら野手を選択肢にすればよかった。それを野手としてあっちこっちやらせ、3年も経ってから投手というのはね……。もちろんまだ高校を卒業して4年ですから、活躍する可能性は大いにあると思います」
権藤氏自身は、入団から2年連続30勝以上をあげた後、故障もあって5年目に野手転向。しかし、打率は1~2割台で、8年目に投手に戻るも、そのオフに引退した。
「僕の場合は故障でダメになったから野手をやっただけ。野手としての練習、投手としての練習に特に違いはないですよ。要はそこでの競争で勝ち残れるか。それだけです。
それにしても、立浪監督が根尾を一軍に帯同させ、中継ぎや代打で起用していくと言っているのは理解できませんね。二軍で3週間くらいはしっかりと投手として経験させ、それから一軍に上げるというのならまだわかるが、実績がないピッチャーを一軍で置いてどこで使うのでしょう」
中途半端な起用法では、かつて“多刀流”と言われた根尾の刀も、錆びてしまいはしないか。
※週刊ポスト2022年7月1日号