7月放送のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』の出演が決定した出川哲朗(58)。リアクション芸人として名を売り、体を張った芸が馬鹿ウケするも、ときに「汚い」とも形容されてきた男は、一体どうやって“驚異の人気者”になったのか。近しい関係者に取材すると、驚くほどアツい姿が明らかに──。【全3回の第1回】
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『プロフェッショナル 仕事の流儀』への出演が発表されるやいなや、ネット上は「ついに出川が!」と騒然となった。なかには「パロディじゃないの?」というツッコミもあったが、それもまた出川哲朗が「国民的芸人」であることの証だろう。
『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)など“冠番組”を含めて、いまやテレビのレギュラーだけでも7本という超売れっ子芸人の出川だが、もともとは役者志望だった。
1985年に横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科を卒業。同期には「ウッチャンナンチャン」の内村光良(57)と南原清隆(57)、そして俳優の入江雅人(59)らがいた。入江は出川の第一印象をこう振り返る。
「演劇科は地方から出てきた人が多かったんで横浜育ちの出川くんは『じゃん』とか当たり前に使ってハマッ子といった感じでカッコ良かったですね。ヤンキー上がりにしか見えなかったから、高校時代はさぞかし悪かったんだろうと思っていました。ところが家に遊びに行った時に卒業アルバムを見せてもらったら、分厚いメガネをかけてぎこちなく笑っている少年が写ってました(笑)。
『田中邦衛さんのような役者になりたい』とよく口にしていて、僕らのなかでも一番役者志向が強かったと思います」
1987年には入江、内村、南原らと劇団『SHA・LA・LA』を結成し、出川は自ら座長を務めた。入江が続ける。
「学校を卒業する直前の1月か2月の雪の降る夜、出川くんが僕のアパートにやって来て『一緒に劇団をやろう』と熱く誘ってくれたんです。僕は『文学座に行くから』と言ってキッパリ断わりましたが結局、文学座にはあっさり落ちてしまいました。
その後、ある劇団のオーディションに合格し、その舞台を出川くんと南原くん、内村くんたちが観に来てくれたんですが、全然面白くなかったみたいで。『入江は何をやってるんだ! やっぱり自分たちで面白い芝居をやろう』と奮起したそうです。出川くんから改めて誘いの電話があると、僕は『やりたい!』と即答しました。その頃は大失恋もしてボロボロだったので、出川くんに救い出してもらったと思っています」