【書評】『ママー探偵物語』/手塚治虫・著/888ブックス/2万4200円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
手塚治虫は自分のデビュー作が戦時下、大政翼賛会が版権を管理した「翼賛一家」のキャラクターを用いた「桃太郎絵本」だと主張していた時期があった。その所在や真偽は未だ確認できないが、本書は戦時下の「こども」であり早熟な「少年」でもあった手塚の十歳から十六歳の習作を集める。
作品のクライマックスで、感動を阻止するかのように登場するヒョウタンツギやブクツギキュといった正体不明のキャラクターと比して「ママー」はマイナーだが、こども期の手塚まんがの中心的なキャラクターであったことが改めて明らかになった。
興味深いのは咳止め薬の商標のアレンジともされるママーの物語が一つの仮構の世界を形成していることだ。その証左は「ママー国語」なるママー独自の言語がつくられていることにある。「ニームヂ」が「なーんだ」、「そるあこつあつ」が「~といふのは」など「ママー國語辭典」と題して整理されている。
言うまでもなく『指輪物語』から『スタートレック』まで作中に架空言語を創出することは物語の背後に単に背景や舞台ではなく、一つの仮想世界であるか否かの指標になる。そういう「世界観」への執着がおたく的表現の特徴でもあるが、手塚という戦時下のこどもにその資質が明瞭にあったことがわかる。
一つ奇妙なのが「日本の国土ッ」というママー語で、「エッ」という語に「日本の国」を接頭語とし「エ」が「土」に変化して「日本の国土ッ」となるらしく、政治的な意味はないのかと思いつつ、しかし後年、『七色いんこ』の中でママーが「日本の国土ッ」のセリフに続いて右翼の街宣車ふうの拡声器が「北方領土返還」と叫ぶコマが描かれる。するとそれはやはり手塚の中では「戦時下のこども」の記憶であったのか、とも思う。
手塚は先の「翼賛一家」を含め「戦時下のこども」としての彼の姿を発言や作品に謎掛けのようにしばしば滑り込ませる。その「問い」は、案外重いといつも思う。
※週刊ポスト2022年7月8・15日号