今もその対応に悩まされている新型コロナウイルスだけでなく、人類は様々な感染症とともに生きていかなければならない。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、エボラウイルスについてお届けする。
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エボラ出血熱は1976年、スーダン共和国のヌザーラという町で、初めて患者が確認されました。この地域の人々は、サバンナやジャングルに点在する小さな集落に親族を中心に集まって暮らし、ヌザーラはそうした集落群の中心地でした。そこにある綿工場で働いていた男性がまず倒れ“出血しながら”死亡。患者が続発し、工場で働いていた人やその家族、友人など35人が死亡しました。
この病はまもなく近郊の町にも拡大します。患者の一人が町の病院を受診したのです。するとこの患者の体液や血液、排せつ物や吐瀉物に接触することで、医療従事者や他の入院患者に悲劇的な院内感染を起こしました。病院に入院していた患者213人中93人がエボラウイルスに感染、さらに病院関係者の3分の1が感染・発症し、うち41人が死亡しました。この事態にまだ動ける患者や関係者は病院から逃げ出し、ここを起点にエボラウイルスが地域に拡散したのです。
これが、最初に確認されたエボラ出血熱の流行でした。
さらに、この2か月後、今度はザイール(現コンゴ民主共和国)のヤンブクという村のベルギー人のシスターたちが無償で運営する伝道病院を悪夢が襲います。ここに激しい下痢と血便、鼻血の男がやってきたのです。医師はおらず、診断もつきません。
シスターらによって抗生物質の投与やビタミン注射、脱水に対する輸液などの医療行為が行なわれていましたが、一本の注射器と注射針を何百回も使いまわすという信じがたい行為も常態化していました。ここでエボラ患者の注射器を使いまわしたことによって、感染者が激増。シスターらは患者や同僚が吐血し、鼻血を流し、急性の下痢に苦しみながら死線を彷徨う脇で祈りを捧げるしかなく、無線で助けを懇願し、ようやく政府やWHOが対応することになったのです。
WHOはこの死病の原因究明に乗り出し、世界中の主要な研究施設がその病原体の同定を開始します。その結果、電子顕微鏡に浮かび上がったのは、クエスチョン・マークのような細長く、コイルのように巻いた新しいウイルスでした。この病気が最初に出現した地域に流れている川の名前に因んで「エボラ」と名付けられました。