芸能界には“共演NG”と噂される関係がある。大阪で芸能活動をスタートさせた大御所の2人にも、長年確執が囁かれてきた。
「あの2人が共演するとは思いませんでした。業界では長年“共演NG”が噂されていた大物同士でしたから」
そう驚いた様子でテレビ局関係者が明かす「2人」とは、和田アキ子(72才)と上沼恵美子(67才)だ。NHKは7月21日と28日の2週にわたって、街ブラバラエティー番組『アッコと恵美子』を放送する。2人がロケで大阪の思い出の地を巡るという。
「2人は放送に先駆けてコメントを発表したのですが、アッコさんが《この2人仲良いの?って思ったでしょ?笑 仲良いんですよ!》とコメントしたのに対して、上沼さんは《今回初めてじっくりお話しができて、とても楽しく光栄でした!》とコメントしました。仲がいいというアッコさんと、初めてじっくり話をしたと明かした上沼さんの温度差が気になりました。
ともに芸歴50年を超えますが、本格的な共演は初。ある“騒動”から共演NGといわれていたんです」(前出・テレビ局関係者)
2人の“遺恨”を解き明かすには、芸能生活を振り返る必要がある。ともに関西出身で、芸能活動をスタートさせた地も同じ大阪だった。
「上沼さんは司会者やご意見番のイメージがすっかり定着していますが、歌手としても活動しています。幼い頃から歌唱力が抜群で、ちびっこのど自慢大会で入賞を繰り返し、“のど自慢荒らし”と呼ばれていました」(関西の芸能関係者)
しかし漫才師を目指していた姉の相方が失踪したため、急遽、姉とコンビを組むことに。中学卒業後に「海原千里・万里」の海原千里としてデビューした。
「天性の話術で、瞬く間に関西お笑い界のアイドル的存在に上り詰めました。歌手としても、20才で発売した『大阪ラプソディー』(1975年)は40万枚を超える大ヒットを記録しました。念願だった歌手の道を歩むかに思われましたが、1977年、結婚と同時に芸能界を引退。翌年には引退を撤回して芸能界に復帰しましたが、以後はタレントや司会業がメインとなりました」(前出・関西の芸能関係者)
一方の和田は15才の頃から大阪のジャズ喫茶やゴーゴークラブなどで歌い、スカウトされて上京。18才で歌手デビューし、『笑って許して』(1970年)や『あの鐘を鳴らすのはあなた』(1972年)などがヒット。以降、毎年レコードを発売し、人気歌手の地位を確立した。
その後、上沼は大阪のテレビに欠かせない「関西の女帝」となり、和田は歌手であり芸能界のご意見番の「ゴッド姉ちゃん」として全国的に知られるように。交ざり合うことのなかった2人だが、ある騒動がきっかけで確執が取り沙汰されてしまう。