戦後初となる総理大臣経験者の暗殺事件がニッポン社会を大きく揺るがしている。なぜ悲劇が起きたのか、安倍政権のブレーンとして知られる元内閣官房参与の藤井聡氏が分析する。
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西田昌司・自民党参院議員の紹介でアベノミクスや国土強靭化の原型となる経済政策、インフラ政策を安倍晋三・元首相にレクチャーしたのがきっかけで、2012年の総裁選、総選挙での公約や所信表明演説の内容への助言、提案をするようになった。
その後に発足した安倍内閣で内閣官房参与となり、2018年まで務めさせていただいた。首相と参与の立場ではあったが、個人としての関係を軸に仕事をしていた。退任後も関係は変わらず、私の電話やメールには必ずすぐに返事をくれるマメな方だった。
亡くなる数日前、「『骨太の方針』に書かれたプライマリーバランス規律に関する方針について相談しましょう」とご本人の携帯に送ったら、参院選の最中にもかかわらず、「選挙後にやりましょう」と返事をくださった。
国政について二度と話し合えなくなった今、悲しいとしか言いようがない。お通夜では亡骸に手を合わせ、近親者の方とお酒を飲んで悼んだ。
元首相の銃撃という事態を招いたのは、「日本社会全体に緊張感が不足していたからだ」と言わざるを得ない。
元首相のような要人は、理由はどうあれ命を狙われる存在であり、公衆の面前に立つ演説の時はなおさらリスクが高まる。徹底的な警備・警護が必要なのに、我が国にはそうした認識、緊張感が警察においてすら十分ではなかった。
日本以外の国では、あのような警察の失態は絶対にあり得ない。今回守りきれなかったのは、日本の警察の恥であると同時に、日本国家の恥でもある。日本国民として誠に申し訳なく感ずると同時に、世界に対して恥ずかしいと言わざるを得ない。
安倍氏は「戦後レジーム/デフレからの脱却」という政治的信念を持ち、一貫して主張し、具体的に取り組み、実現させ得る力を持った唯一の政治家だった。代わりのきかない政治家が失われたことで今後、日本国家の取り組みが停滞し、大きく後退することになったと感じている。
安倍氏以外にそうした政治家は現状、見出し得ない。この損失をどう埋めるのか。残された我々は全力で考えなければならない。
※週刊ポスト2022年7月29日号