“アンミラ”の愛称で親しまれているレストラン「アンナミラーズ」の国内最後の店舗である高輪店が今年8月31日、品川駅周辺の再開発に伴う移転要請を受けて閉店する。大学時代4年間、アンナミラーズでアルバイトしていたタレントの壇蜜が当時を振り返り、思い出を語った。
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大学時代の18歳から22歳までアンナミラーズ駒沢店でアルバイトをしていました。制服が可愛く、パイや洋食、接客も含めて私にはアンナミラーズが華やかな異国の空間に見えて、バイトしてみたいと思ったのがきっかけです。他のファミリーレストランとは違う刺激がありました。
平日は授業の後、土日は昼から夕方まで働いていました。時給は850円。本名は支靜加なので「SHIZUKA」とローマ字で書かれた赤いハート形の名札を付け、社員さんやキッチンボーイの皆さんともファーストネームで呼び合っていました。
駒沢店だけかもしれませんが、当時の店では基本的に新人が「オレンジ色」、ある程度の経験を積んでいくと「ピンク色」の制服でした。ピンクが着られる時はうれしかったです。実際はベテランになってもオレンジ色の制服が好きだから、と着ていた先輩もいましたので、割と自由に好きな色の制服を着ることができたのだと思います。
制服の色に合わせたリボン、カチューシャも支給されました。髪を結ぶ人はリボンを着け、髪を結ばない人は制服と同じ色のカチューシャを着けるなど、バリエーションは豊かでした。私は当時茶髪のボブヘアー。結べるかどうかギリギリで、カチューシャを着けていました。
制服は変わらなかったのですが、足回りが途中から変わりました。最初はローファーにストッキングでしたが、スニーカーにルーズソックスに変更になったのです。私は中高時代も含めてルーズソックスを履いたことがなく、ルーズソックスデビューはまさかのアンナミラーズでした。20歳を過ぎてから初めてルーズソックスを履きましたが、当時は自分でも「大人になってから?」と思いました(笑)。でも、確か、私たちウエイトレス自身がローファーかルーズソックスとスニーカーのどちらかを選べると聞いて、「変えるのもいいね」とみんなでルーズソックスにした経緯だったと思います。
私が得意だったのは「金紙(きんし)包み」です。持ち帰りのパイを金色の紙で包む作業ですが、周りから「上手いね」と褒められて嬉しかった思い出があります。
当時、私が大好きだった料理は、賄いでもよく食べたターキーサンドです。まずターキーが見新しくて……。「サンドイッチを賄いで食べるなんて、お洒落だな~」と思いながら、食べていました。