初代俳都松山大使で、現在放送中のMBS『プレバト!!』の劇的添削でも大人気の俳人、夏井いつきさん(65才)の女性セブン連載エッセイ『瓢簞から人生』が書籍化された。100年後を見つめる夏井さんの素顔に迫るロングインタビュー。【前後編の後編・前編から読む】
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夏井さんの生家である家藤家は、明治44年に自営業として家串郵便局を開局。そこに交通事故で父親を亡くし、女学校を辞めた母が就職。母と結ばれた父は3代目の局長だった。昭和32年に長女伊月が、2年後に後の世界的チェリスト、ナサニエル・ローゼン夫人で俳人の次女、千津が誕生した。
当時の実家はペパーミントグリーンの壁に、中庭を囲んだ2階建てと、明治44年の建物にしてはかなりモダンで、今では思い出の中にしかない空間を著者はこんなふうに描写する。〈局舎の扉を開くと、木造りのカウンター。正面に窓口が二つ、左手にもう一つ、切手や葉書を売る窓口。右端には、小さなスイングドアがあり、そこから上がり下りもできるようになっていた〉〈私たち姉妹は、折々当たり前のように局舎に出入りし、空いている机でお絵かきをして遊んだり、仕事をしている父の膝にのったりもしていたが、真っ黒で巨大な金庫は、子どもが近寄ってはいけないモノであった〉。
また、2代目局長を引退する前から釣り三昧だった祖父の〈放蕩ジジイ〉ぶりも面白い。機械船と伝馬船を繰り、気ままに暮らす祖父に、著者は子供の頃、浜近くの〈知らない小母ちゃん〉の家に連れていかれ、縁側で1人、スイカを食べて過ごした生々しい記憶も。
〈私が大学生だった頃、母方の祖母が何かの話の流れで「いつきちゃんの名前も、お祖父さんのエエ人の名ぁをつけなはったらしいけん」とぽろっと呟いた。私は、あ! と思った。そういうことやったか、ジイサンと〉
「しかもエエ人は2人いたの。とんだジイサマでしょ。そしてダシにされた私はそれを、俳句に詠むと(笑)」
その描写力は父の死に際してより鮮明になる。結果的に胃癌の判明から僅か3か月で逝った父に余命3年の診断が下ったのは、夏井さんが教師になった年の秋のこと。病名は隠し通すと決めた母と娘は、「年末年始は家で過ごせますね」という医師の言葉に素直に喜び、年越しに備えて父の好物〈鰊蕎麦セット〉を持ち帰ったりした。
が、病状は3日で急変し、夏井さんは松山の病院まで3時間の道程を車で逆走することに。〈あの年、愛媛にも大雪が降った〉〈後部座席で、母の膝に頭をのせ横になっている父の熱は、どんどん上がっていった〉〈母が、きれいな雪があるところで車を止めて欲しいという。のろのろ運転の車列から抜け出し、畦道の近くに車を止めると、母は、蜜柑を入れていたビニール袋を摑み、雪の中に走り出た。畦道の誰も踏んでない雪をギュウギュウ固めてはビニール袋に詰め込む〉〈父の額に当てた雪は、あっという間に解ける。父の熱を冷ますため、私たちは何度も車を止め、何度も雪を取りに走った〉──。