《そんな父も、去年亡くなりました。(中略)今では、母から父を奪った女性に感謝すらしています》
風吹ジュン(70才)は父との別れを、雑誌『HERS』(2022年夏号)のインタビューでこう明かした。この言葉の意味を理解するには、彼女の波乱に満ちた人生を知る必要がある。
風吹は1952年に富山県で生まれたが、これまで郷愁にかられることは少なかった。つらい思い出が多かったからだ。原因は父の女性関係だった。
「高校教師だったお父さんには、愛人がいたようです。その愛人宅に、幼い風吹さんを連れて行くこともあったとか。不倫が発覚してからは両親のけんかが絶えなくなり、風吹さんが小学5年生のときに両親は離婚しています」(芸能関係者)
3つ上の兄と母のもとで暮らすことになった風吹。しかし生活は困窮。風吹は母の内職を手伝って家計を支えた。母は風吹が中学2年生のときに、離婚時の慰謝料でスナックを開くも、経営難でわずか半年で閉店。すると風吹は母から「もうアンタの面倒は見られない」と告げられ、突然、先に家を出ていた兄のもとに送りつけられてしまう。いわば、家族崩壊──。
中学卒業後は進学せず、青春を謳歌する同年代を横目に、レストランで住み込みで働きながら、必死に生きた。18才で上京し、20才でモデルデビューすると瞬く間に人気者になった。
プライベートでは1981年に音楽プロデューサーの男性と結婚。2人の子供に恵まれるも1992年に離婚した。シングルマザーとして子育てと仕事に奮闘し、女手ひとつで子供を育て上げた。2011年末からは新たなパートナーと交際し、現在は同棲中だという。紆余曲折を経て、曲がりなりにも平穏な生活を送っていた風吹に、予期せぬ連絡が入ったのは2015年のこと。
「親戚から、お父様が倒れたという連絡があったそうです。奈良県の病院に入院しているから、会いに来てはどうか、というものでした。両親の離婚以来会ってはいなかったし、何より“自分は捨てられた”という意識を持っていた。そんな思いだったため、会うことを躊躇したそうです。
でもそのとき、風吹さんは連続テレビ小説『あさが来た』(NHK/2015年)の撮影で、奈良に近い大阪に滞在中で“これは何かに呼ばれているのかもしれない”と感じて、入院中のお父様に会いに行くことを決意したそうです」(前出・芸能関係者)