あれから30年が経った──。1992年8月16日、第74回全国高等学校野球選手権大会の2回戦、明徳義塾(高知)が星稜(石川)の松井秀喜を5打席連続敬遠し、3対2で勝利した。一度も勝負をしない明徳に対し、スタンドからは野次が飛び、グラウンドにはメガホンやビールの空き缶などが投げ込まれた。高校野球とは思えない光景が広がっていた。アマチュア野球記者が振り返る。
「この年から甲子園球場のラッキーゾンが取り払われ、ホームランが出にくくなるのではないかと心配されていました。しかし、松井は春の選抜で初戦に2打席連発、2戦目もホームランを放ち、規格外の力を見せつけていました。夏、星稜と当たると決まった明徳義塾の馬渕史郎監督が練習を視察しに行くと、柵越えを連発する松井の打撃練習に舌を巻いた。僅差なら敬遠と決めたそうです」(以下同)
試合前、馬渕監督は全打席敬遠するつもりはなかったという。しかし、5打席とも勝負を避けざるを得ない場面で松井に回ってきた。全打席の状況とスコアを記すとこうなる。
1回表 2死三塁:明徳0-0星稜
3回表 1死二、三塁:明徳2-0星稜
5回表 1死一塁:明徳3-1星稜
7回表 2死ランナーなし:明徳3-2星稜
9回表 2死三塁:明徳3-2星稜
7回を除いて全てランナーのいる状況で松井の打席が訪れた。語り草となっているのは、7回表2死ランナーなしの場面だ。
「1点差でホームランが出れば同点になるので、ランナーがいないだけで明徳にとってピンチ。これが2点差なら勝負したかもしれません。5回の1死一塁も塁が詰まっていますが、一発同点ですから、馬渕監督はピンチと判断をした。裏を返すと、それくらい松井の実力を評価・危険視していた」
明徳義塾の敬遠策にスタンドやテレビで観戦していたファンは怒った。超高校級の松井のバッティングを見たかったのだろう。星稜に勝った翌日、明徳の主将が3回戦の抽選のため甲子園に現れると、観客から『帰れ!』と野次が飛んだ。明徳の宿舎には2000本もの抗議電話が殺到し、選手たちは外出すらできない状態に追い込まれ、練習中もパトカーが出動して周りを見張るほどだった。明徳は3回戦で広島工業に0対8と完敗し、甲子園を去った。
「馬淵監督はあくまでルールの範囲内で最善策を取り、河野和洋投手が敬遠の指示に従った。選手は勝つためにプレーをしているのであって、負けるためではない。ファンの非難したい気持ちもわかりますが、スタンドでのブーイングはまだしも、グラウンドにモノを投げるのも、宿舎へ抗議電話するのもやり過ぎでしょう。牧野直隆高野連会長(当時)が『無走者の時は正面から勝負してほしかった』と語ったことも、明徳批判に拍車をかけたと思います」