競輪選手の父が語っていた「甘い世界じゃない」
海老根と初めて会ったのは、京葉ボーイズに所属していた3年前(2019年)の初夏だった。強打・強肩・俊足の外野手として、中学硬式野球では広く名前の知られた選手で、その後、U-15侍ジャパンにも選出された。
「中学1年生の頃、カル・リプケン日本代表に選ばれたんです。その時のチームメイトで、熊本の選手がいて。今もLINEで連絡を取り合っていて、高校も一緒に行こうと話しています。中3の日本代表は一緒に戦えないことになったんですけど、『(高校3年生で)U-18高校日本代表で日の丸を背負おう』とも話しています」
海老根の話した「熊本の選手」というのは、今年の大阪桐蔭の主将を務めた二塁手の星子天真だ。
「今年は全国に好投手がいないらしくて、大阪桐蔭の先生からは、『関東に良いピッチャーがいたら教えてほしい』と言われています。スケールの大きな打者になりたいです。去年(2018年)のような、春夏連覇が達成できるようなチームにしたいですね」
中学3年生で既に体幹の強さが伝わってくるような肉体で、中学通算26本塁打と話していたが、ただ遠くに飛ばす力だけ突出しているようなことはなく、丸太のような脚でベース間を疾走していた。のちに、大阪桐蔭の西谷浩一監督は、海老根の脚力を「藤原(恭大)、根尾(昂)レベルです」と話していたが、乗り物でたとえるならスーパーカーな先輩に対し、大柄な海老根はジェット機のような印象だ。
野球選手でも一流を目指しうる逸材であることは明らかだったが、海老根の身体能力をもってすれば、どんなスポーツでもトップカテゴリーに進めるアスリートに見えた。
この恵まれた肉体は、両親のDNAの賜物でもあるだろう。海老根の父・恵太さんは、2009年KEIRINグランプリ覇者で、G1で2勝を挙げている競輪選手だ。先頃、45歳にして復帰。母のさおりさんも元陸上選手だ。海老根と初めて会った3年前、会場にいた恵太さんにも話を聞いていた。
「これからの野球人生に関しては、本人がやりたいところでやらせたいと考えています。自分で選んだ道なら、苦しくても頑張れるだろう、と」
同じアスリートとして、トレーニングを指導することもある。この日の時点で、海老根は野球を職業にしていくことを決めていた。しかし、そうした息子の野心に、プロアスリートの先輩として心配も抱えていた。
「そんなに甘い世界ではないということは、私を見ていますし、本人もわかっていると思います。野球選手として、肩もあって、走れて、力もあって、そうした基礎的な部分が高いレベルにあって、何でもできる野球選手を目指してほしい」
3年の時を経て、海老根の肉体は一回り大きくなった。1年夏はボールボーイを務めて先輩のプレーを最も近い位置で見守り、1年秋からベンチ入り。主に4番もしくは5番の中軸を任され、高校通算本塁打は10本だが、そのうち2本が聖地で放った特大のものだ。
下関国際に敗れ、3年前に誓った春夏連覇にはあと3つの勝利が足りなかった。試合後、オンライン取材に応じる5名に海老根の名はなかったために、コメントを得られなかったことが個人的には残念だ。
将来の夢は「侍のトップチームで活躍すること」。もしかしたら、U-15に続き、甲子園大会後に発表されるU-18の侍ユニフォームは着ることになるかもしれない。
いずれにせよ海老根にとっては長い野球人生の通過点だ。プロ志望届を提出し、NPB12球団の指名を待つことが確実視されている。