ついに北条家の最大のライバルである比企一族が滅亡させられ、物語はクライマックスに突入しようとしているNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。ますます熾烈な権力闘争を楽しむために、後半戦に残された「謎」を専門家が解説する。
北条政子は源氏滅亡をどう乗り越えるのか
最愛の夫である頼朝(大泉洋)を失い、血のつながった子や孫が次々と死んでいく悲劇の連続に、「尼将軍」と呼ばれた北条政子(小池栄子)はどう立ち向かったのか。鎌倉時代に詳しい歴史学者の細川重男氏が解説する。
「自分が鎌倉に呼び寄せた孫の公暁(寛一郎)が息子の実朝(柿澤勇人)を殺したことは政子にとって特に大きなショックだったはずです。しかし彼女は絶望して隠遁することもなく、『夫が作った幕府を私が守る』との気概を持ち、幕府の先頭に立って奮闘を続けた。そこが政子という女性の強さと個性で、小池栄子さんの政子はそんな強さが前面に出て描かれており、私は今作では政子が主人公のようなものだと思っています」
史実では源氏が途絶えたのち、政子は将軍の後継者探しに奔走した。
「政子は最初に後鳥羽上皇(尾上松也)に『皇子のひとりを将軍に迎えたい』と懇願するも断わられ、苦肉の策として摂関家である九条家の幼子を将来の将軍(4代将軍藤原頼経)として迎え入れた。頼経が育つまで鎌倉幕府の将軍の役目は実質的に政子が務めました」(同前)
そんな政子を『鎌倉殿』では弟の義時(小栗旬)が支えることになる。時代劇研究家のペリー荻野氏はこう話す。
「ドラマの柱は政子と義時の姉弟が互いに黒い感情を抱えながら『それでも、これしかなかったんだ』と支え合うシーンです。今後ふたりで父と継母を追放する場面でも、姉と弟の絆の強さが見えるはずです。実朝の死後は政子が将軍の役割を担うので、義時が姉弟の“闇”の部分を引き受け、前に立つ政子を支えていくのでしょう」
義時はどうやって「官僚御家人」たちの評価を得たのか
源氏が滅び、義時が天下を取ることができたのは、京都出身の官僚御家人の協力を得られたことが大きかった。
なぜ義時は優秀な官僚を手中にできたのか。細川氏はこう指摘する。
「父の時政(坂東彌十郎)は権力を握ると独裁者のように振る舞ったが、義時は時政を追放してからもあくまで『合議制のメンバー』として振る舞い、他の御家人と話し合って出した結論を将軍実朝のところに持っていき、決裁を仰ぐという役割をまっとうしました。実朝が暗殺されてからは姉の政子にお伺いを立てるようになり、幕府の命令は政子の名前で出るようになりました。義時は父の哀れな末路を見て、独裁者は人心を得られないことを悟ったのです」
個人的な主張や権力欲を見せず、合議で物事を進める義時の姿勢が、官僚からも信頼された。
「官僚は権力者に仕えるのが仕事なので、内心苦々しく思っても文句を言わず時政に従っていた。しかし義時は幕府の最高責任者になってからも、独裁ではなく周囲と話し合って物事を決めました。そうした姿勢を評価するから官僚御家人は義時に一目置くようになり、大江広元(栗原英雄)や安達景盛(新名基浩)など、優秀な人材が執権の義時を支え続けました」(同前)
※週刊ポスト2022年9月2日号