しかし日本においては、改憲論者を極悪人のように非難する人がまだまだいる。おかしいではないか、合理的論理的に考えればこれ以外の結論は無いはずの主張を、なぜ倫理的に批判できるのか? それは宗教だからだ。では、なぜ多くの人間が、それが宗教のせいだと自覚できていないのか?
おわかりだろう、歴史教育がまったくダメだからだ。日本史を教えるなかでこういう宗教の部分を無視しないでちゃんと教えていれば、国民の多くが非合理な判断をすることなど無いはずなのである。戦前の教育はそれができなかった。いや、戦後の教育もそれができていない。だからこそ、合理的論理的な主張をする人間をまるで悪魔のように非難し、しかも自分は正しいと思い込んでいる人間が大勢いる。
東條英機はアメリカから中国からの撤兵を求められたとき、それを受け入れれば戦争をしなくていいかも知れぬと思いつつも、結局は撤兵できなかった。「英霊に申し訳ないから撤兵できない」、それが彼自身の言葉である、結局その合理性を無視した判断は三百万人の犠牲者を出した。今、日本人の安全を守るために憲法改正すべきだと言うと、「三百万人の犠牲者に申し訳ないから改憲できない」と護憲派は言う。結局、東條英機と護憲派の主張は同じだ。理由は簡単で、同じ宗教の信者だからである。だが、戦前も戦後も一番大切なことは「犠牲者の死を無駄にしない」ことでは無い。「今生きている日本人の命をどうやって守るか」ということである。
これも私の作品の愛読者ならとっくにご存じのことだが、念のために言っておこう。護憲派は「戦後の平和は平和憲法によって守られた」と主張する。合理的論理的に考えればそんなはずが無いではないか。プーチンに日本国憲法を守る義務があるのか? 日本を侵略しようとする人間が日本国憲法を尊重するはずも無い。日本が平和だったのは、自衛隊と日米安保条約に基づくアメリカ軍の駐留があったからである。ウクライナの現状を見れば、そういう抑止力が無ければ国の安全を保てないというのが一目瞭然ではないか。日米安保条約ならぬNATO(北大西洋条約機構)に加盟していれば、ウクライナは侵略されることは無かった。だからこそ、中立を守ってきたフィンランドもスウェーデンもNATO加盟を熱望したのだ。
「神風」と「平和憲法」は同じ
しかし、日本には軍事力を「ケガレ」つまり「悪の根源」だと忌み嫌う宗教がある。詳しく述べていたらキリが無いので、興味のある方は『逆説の日本史 第四巻 中世鳴動編』あるいは『逆説』シリーズの総まとめである『日本史真髄』(ともに小学館刊)をご覧いただきたいが、天皇家はこうした信仰を持っていたからこそ、平安時代に軍事権を放棄するという世界史上前代未聞の決断をし、その軍事権を拾い上げた形で武士たちの政権が成立した。これが鎌倉幕府である。
その鎌倉幕府の時代に、海の向こうからモンゴルが攻めてきた。ご存じ「元寇」だ。幸運なことに、日本は幕府という軍事政権の時代だったので見事に元の侵略を撃退することができた。だが、面白く無かったのは天皇家を中心とした朝廷勢力である。彼らは軍事力を「悪」だと考えていたから、そんなものによって神聖な国土が守られたと思いたくなかった。だが、思いたくないと言っても、実際に幕府の軍事力が侵略者を撃退したのは事実だから、それを否定するには超自然的な力を持ち出すしかない。
おわかりだろう、それが「神風」なのだ。神風は、そもそも「軍事力によって国が守られた」ということを絶対認めたくない人々が考えた、まさに「机上の空論」なのである。その証拠に朝廷は鎌倉幕府の責任者で見事に侵略を撃退した執権北条時宗に、なんの栄誉も与えなかった。世界史のなかで侵略を撃退した英雄は何人もいるが、なんの栄誉も貰えなかったのは時宗ぐらいだろう(明治になってようやく大日本帝国は時宗に従一位を追贈した)。
これも、しつこいようだが論理的合理的に考えればわかることで、どうしても軍事力を「悪」とし、その有用性を認めたくない人間は、結局非論理的な「モノ」が代わりに務めを果たしたと考えるわけで、「幕府の軍事力が元を撃退したのでは無い。あれは神風の力だ」というのと「戦後日本の平和を守ったのは自衛隊や在日米軍では無い。平和憲法だ」というのは、まったく同じ信仰から生まれた発想だということもわかるだろう。この意味では右翼も左翼も無い、皮肉なことに同じ日本人なのである。
ちなみに、このことはすでに二十年近く前に書いていることである。『逆説の日本史 第六巻 中世神風編』にも書いているし、『「攘夷」と「護憲」』(徳間書店刊)という著作もある。神風を否定し平和憲法を肯定すれば、自分は民主主義的な善人だと思い込むような人間こそ、じつは「日本教」に自覚無しに縛られている存在で、日本の将来にとってもっとも危険な人々である。日本人を合理的論理的に守ることを認めないからだ。
何十年も先に、子供から「ねえ、令和時代、なぜ日本は国を守れず独立を失ったの? 北朝鮮はどんどんミサイルを撃ち込んで来ていたし、プーチンのウクライナ侵略もあったのに、なぜ憲法改正して自分の国を守れるようにしなかったの? そんなの人類の常識じゃない」と聞かれ、「いや、それは日本だけは特別で、『憲法改正』と言うと極悪人の仕業のように考え、自分たちが絶対正しいと血相変えて改正に反対した人たちがいたからだよ。それが日本独特の宗教の作用であったことを日本人自身が自覚していなかったんだよ。誤った歴史教育のせいでね……」
なんてことにならないためには、きちんと歴史を学ぶしか無い。そして「きちんと学ぶ」ということは改めて強調しておくが、「宗教を無視しない」ことなのである。