令和から明治に戻ろう。この時代の新聞(=マスコミ)は国民の「耳目」では無く、むしろアジテーター、扇動者と化していた。わかりやすく言えば、「満洲を得るために犠牲となった十万の人々の死は、絶対に無駄にしてはならない。それゆえに、平和とか国際協調とか日中友好とかいうお題目を唱えて、この尊い犠牲を無駄にするような動きは絶対に許せん」ということだ。戦後「平和憲法改正を唱える人間は極悪人」であったように、戦前とくに昭和前期は「国際協調、日中友好を唱える人間は極悪人」であったことを頭に叩き込む必要がある。
なぜそうなるかと言えば、国際協調とは戦争より平和を優先する態度だから、場合によっては戦争(=尊い犠牲)で得た占領地を返す、あるいは第三国に譲るなどという道につながりかねない。日中友好もそうだ。それは中国の主張も認める姿勢につながるから、中国が「満洲はウチの領土だから返せ」と言われた場合、返さなければいけなくなる。いずれにせよ「満洲を失う(=尊い犠牲を無駄にする)」ことになるから、絶対に認められないことになる。これを頭に置いておけば、日清戦争後の三国干渉が日本にとって単なる屈辱以上の痛恨事であったことも理解できるはずだ。それはまさに「尊い犠牲を費やして獲得した領土を失う」ことであった。
昭和史をかじったことのある人間なら、日本いや大日本帝国の軍事・外交政策のなかにもときどき国際協調路線や日中和解路線への方向性が散見されるのに、結果的には強硬路線に必ず回帰してしまう傾向があることに気づくだろう。それを歴史学者は軍部の横暴だとか、利権に目がくらんだ政財界の後押しがあったからとする。たしかに、そうした側面もあっただろう。しかし、昭和史だけで無く日本史全体から見ればそれはあきらかに、この宗教(尊い犠牲を無駄にするな!)のせいなのである。では、この宗教とはいったいなにかと言えば、これもすでに述べたことだが形を変えた怨霊信仰である。
怨霊信仰とは、「怨みを抱いて死んだ人間はその激しい怨念によって怨霊と化し激しいタタリをなす。この世に災厄をもたらす。それを防ぐために怨霊は必ず鎮魂しなければならない。ただし、鎮魂がうまくいけば怨霊は善なる御霊と化し、この世を災厄から守る」というもので、これが明治以降は「国家のために犠牲(戦死や戦病死した人間)を丁重に祀れば、英霊となって日本を守ってくれる」という形にリニューアルされた。もちろん、その根底には「彼らの死を無駄にするようなことをすればどんな災厄が襲ってくるかわからない」という潜在的な恐怖もある。
もうお忘れになったかもしれないが、現在話題にしている南北朝正閏論で、北朝の出身なのに「南朝こそ正統」と認めた明治天皇は、即位直前に「日本一の大怨霊」崇徳上皇の御陵に勅使を派遣し、かつて朝廷が上皇を配流したことを謝罪してその神霊を京都にお迎えしてから正式に即位し、明治と改元している(『逆説の日本史 第21巻 幕末年代史編IV』参照)
だからこそ、大日本帝国の「神学」はきちんと検証しておく必要がある。
(第1352回へ続く)
※週刊ポスト2022年9月2日号