岸田政権の掲げる防衛費の増額や憲法改正に向けての論議などで注目が集まるのが自衛隊だ。2011年の東日本大震災などでは現場での隊員たちの奮闘にスポットが当たり、コロナ禍になってからも、集団感染が発生したダイヤモンド・プリンセス号への対応やワクチン接種の推進なども大きく報じられた。一方で、自衛隊の幹部候補生を育成する教育機関である「防衛大学校」についてはあまり知られていないのが実状ではないだろうか。昨年3月まで防衛大学校長を務めた國分良成氏(68)が、在任9年の間で感じた実像とは──。國分氏が振り返る。
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國分氏は1981年に慶應大学院博士課程を出てから30年以上にわたって同大に教員として勤務し、現代中国論を専門として研究を重ねてきた。防大とは縁がなかった國分氏に白羽の矢が立ったのは、2011年の初頭だった。
「当時は民主党の野田政権下でした。引き受けるべきかどうか悩んでいましたが、3月に東日本大震災が発生した。その時の自衛隊の活躍と献身ぶりを見て、『これはやらなきゃいけない』と決意して、教員の妻も背中を押してくれた。ちょうど次のキャリアについて考えていたタイミングでもあった。尊敬する石川忠雄先生(元慶應義塾長)も以前オファーを受けていたがなれなかった経緯があり、これも縁かと思ってお受けすることにしました」
國分氏は、防衛大が創設70年を迎えた今年8月、自らの体験や想いを記した『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社刊)を上梓した。私学である慶大と、同じ学生とはいえ「特別職国家公務員」として訓練を受け、給与を受け取る防大生では性格も志も大きく違ったのではないか。
「私も最初はそう思っていましたが、入学当初の新入生の雰囲気はそれほど変わりませんでした。防衛大といっても入校した生徒の理由は様々で、国防に強い意識を持つ者から『偏差値がちょうど良かった』という者、経済状況などそれぞれです。その段階で『国のために』と決意できている生徒は稀ですし、逆にそういう“理想”を持っている生徒のほうが現実の大変さに挫けて中途で退校したり、『任官辞退』という選択をするケースもあった」
慶應「三田会」より「防大OB会」のほうが強い
しかし、学生は入校後に鍛えられていくなかで肉体だけでなく精神的にも成長を遂げていく。講義や訓練はもちろんだが、その背景には集団生活と規則の徹底がある。
「自由に暮らしてきた学生がいきなり全寮制の防大で原則8人部屋での共同生活になり、徹底的に生活が叩き直されるから最初は大変です。特に1年生は忙しく、学生諸君に聞くと、冗談でしょうが『2年生になって“やっと人間になれた”』と言う子もいました(笑)。彼らの生活は自衛隊と同じように、一日2回の点呼がある。朝は6時5分から始まって清掃に課業行進(隊列を組んで合わせて歩く)、授業に訓練とハードなスケジュールをこなします。また防大生には『容儀点検』があり、ヘアスタイルや服装を絶えず気に懸けなければいけない。ほかにも敬礼の仕方や言葉遣い、金銭管理などを習得していきます。また4年間で1005時間ある訓練を経て、学生たちがある種の『死生観』を持つようになることも一般大学との大きな違いでしょう」
また國分氏は防大の“縦の繋がり”の強さに驚かされたと語る。