【書評】『子宝船 きたきた捕物帖(二)』/宮部みゆき・著/PHP研究所/1760円
【評者】関川夏央(作家)
『きたきた捕物帖』の最初の「きた」は北一。三歳で迷い子(捨て子?)になり、江戸・深川(現在の江東区)の岡っ引きの親分に引き取られた。子分最末席の北一が十六になった正月、親分はフグにあたって頓死した。
収入の保証がない岡っ引きは、みな正業を持つ。死んだ親分の正業は「文庫」作りだった。「文庫」とは、季節の彩色絵で飾り、内側を細木で補強した厚めの紙箱だ。本来は暦や読本の入れ物で、現代の「文庫判の本」はここからきているのだが、小物入れにも重宝される。
その「文庫」の振り売り専門だった北一は、あらたに出会った絵師らと工房を構え、独立することに決めた。痩せて小柄で毛の薄い北一だが、協力者が湧き出て来るのは素直な性格と勘働きのよさゆえだろう。
もう一人の「きた」は喜多次。北一と似た年頃だが、行倒れていたところを深川扇橋の湯屋の老人たちに助けられ、その釜焚きになった。謎めいた若者だが、身の軽さと度胸のよさは血筋らしい。
「捕物帖」と題してあるが、派手な捕物は出てこない。ときに親分の全盲の後家さんの観察力や、喜多次の身体能力を借りて事件解決の糸口を見つける北一だが、岡っ引きの仕事の大部分は、トラブった両者の言い分を「よく聞いて丸め」「落としどころ」を探る調停なのだ。
必要なのは「聞く力」と「さばく力」で、そのための経験と評判がまるで不足している北一が、深川の町を歩き回りながらそれを獲得し、成長する小説である。また前作『桜ほうさら』の関係者も登場人物になることを思えば、深川そのものが主人公のコミュニティ小説ともいえる。
十九世紀前半の世界最大の都市、産業革命と植民地と海上戦力以外は何でもあった江戸が、この物語から三十年もしないうちに「近代化」せざるを得なかったとはいかにも残念。読者にそう思わせるのは、この軽快な小説の説得力である。
※週刊ポスト2022年9月2日号