1970年代から活躍し、多くのアーティストに影響を与えてきた井上陽水(73才)。長く支持され続けてきた理由はどこにあるのだろうか。音楽評論家の富澤一誠氏に聞いた。
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井上陽水の楽曲をカバーするアーティストが年齢や性別を問わず多いのは、「いい曲だから」の一言に尽きます。ただ、世の中には本人が歌うといい曲だけれど、他の人が歌うとそうでもないという曲はたくさんあります。陽水の曲のカバーでいい作品が数多く生まれるのは、陽水が作る歌詞とメロディの“デッサン”が素晴らしいからです。
絵にたとえると、大元のデッサンがいいからこそ、それをベースに油絵、水彩画、水墨画などどんな手法でも上手に絵を描ける。つまり、陽水の曲には多種多様な表現を支える力があり、カバーするアーティストはそれぞれの個性で陽水とは別の味を出すことができるというわけです。
幅広い曲が揃っているのもカバーされる人気の理由でしょう。陽水は個人でブームを2度作りました。最初はフォークシンガーとして『心もよう』『傘がない』など具体的な詞を書き、抒情的なメロディで歌いました。その後、ポップス、ロック、サウンド志向に変化していった結果、『ジェラシー』『リバーサイドホテル』『いっそセレナーデ』『少年時代』など、70年代とは異なるテイスト・言葉の歌が生まれてきました。これほど1人でまったく違う世界を作り上げたのは、陽水ぐらいしかいない。
吉田拓郎が我々を代弁する“時代のヒーロー”とすれば、陽水は時代がどんなに変わろうとも、その時代の波をうまくとらえて見事に乗りこなす“時代のサーファー”。その先駆者です。時代の波を乗りこなすセンスは決して古くならない。平成生まれのアーティストや人々の心にも響き、今後もカバー作品は増えていくでしょう。
【プロフィール】
富澤一誠(とみさわ・いっせい)/1951年生まれ、長野県出身。音楽評論家、尚美学園大学副学長。東京大学を中退し、音楽評論活動を開始。レコード大賞審査員、同常任実行委員、日本作詩大賞審査委員長などを歴任。2018年から現職。
取材・文/上田千春
※週刊ポスト2022年9月2日号