韓国社会で長らく“歴史のタブー”とされてきたベトナム戦争当時の事件が、にわかに動き出そうとしている。8月上旬、「戦争中の民間人虐殺の責任がある韓国政府は3000万ウォンを賠償せよ」と韓国政府を訴えたベトナム人女性、グエン・ティ・タンさん(62歳)のおじが、韓国・ソウル中央地裁の証言台に立った。おじは「望遠鏡で、韓国軍の軍人が村の住民数十人を殺害する姿を目撃した」などと証言。タンさんが遭遇した事件とは何だったのか。なぜ、50年以上前の事件が韓国の裁判所で裁かれようとしているのか。
ベトナム戦争中に起きた民間人殺害事件について10年以上にわたり取材し続けるフォトジャーナリストの村山康文氏は、かつてタンさんに直接会い、こんな証言を聞いたという。
「1968年2月のある朝、当時7歳だったタンさんはベトナム中部のフォンニ村で事件に遭いました。朝食後、砲声が聞こえたので家族や親戚、近所の人らと自宅内の避難壕に身を隠していたところを、村に押し入ってきた韓国軍兵士に見つかったといいます。
兵士らは手榴弾を片手に『出てこい!』と手招きし、それに怯えた姉が最初に外に出ると、その場で撃ち殺されるのを目にしたそうです。避難壕には家族や親戚ら7人が潜んでいましたが、結局、タンさんと兄の2人だけが助かり、5人がその場で殺された。タンさんは左脇腹を撃たれて意識朦朧となり、その場に倒れました。傷跡は、今もタンさんの脇腹に大きく残っています」
やがて意識が戻ったタンさんは、命からがら逃げ延びたという。村山氏が続ける。
「タンさんは、『脇腹の傷からはみ出た腸を手で押し込みながら近所の家に逃げ込んだ』『気付いたら、腹と尻を撃たれて重傷を負った兄と一緒だった』と語っていました。
そして銃声や爆音が過ぎ去った後、母を捜しに戸外に出たタンさんが目にしたのは、広場や小道の至る所に死体が転がる地獄絵図。タンさんの母親は既に殺されていて、後日、村内にできた死体の山のなかから見つかったそうです」