かたや惣菜店と家との往復を日常とする豊子の視点。社員が帰った後は15分ずつ休憩を取ることが〈伝統〉化し、廃棄分を持ち帰っても〈言わなきゃバレない〉遅番を好む彼女は、自身を蝕む閉塞感をこう表現する。
〈喫煙所に居続けていると、錆びたベンチと同化していくような感じがする〉〈人が来る。帰る。人が来る。帰る〉〈それは、遅番のアルバイトの間に流れる停滞感とどこか似ていた。働く人間は入れ替わっても、ささやかな罪を許し合う億劫さは留まり続けている〉
「感情を素直に出す桜介と、父親に十分な食費も貰えないまま放置され、感情を押し殺すことに慣れた波留は、全くタイプが違う。それでも彼らはまだ小学生だけに、動きも若さもあるんです。
対して豊子のパートではエンタメとしての展開を優先すると損なわれるものがあると思ったので、起伏を抑制して日常や感覚を丁寧に描写しようと。そして被疑者の足取り1つ掴めない未解決事件を追う正太郎のパートは、地道な捜査に組織の軋轢が絡む警察小説風味をめざしました。
実はこの作品では、一度書いたものを視点人物毎に分けて手直しする中で、新しい描写の手法に挑戦したんです。以前は『何を書くか』で精一杯だったけれど、10年やってきて『どう書くか』にも挑む余裕が出来たというか。様々な手法や工夫を盛り込んだ作品になりました」
表題は道路標識への違和感から
驚くことに作品の着想は、「匿う側と匿われる側の関係性や、それを歪ませる密室空間への興味」に始まったという。そこから桜介と波留の境遇や、手配中の阿久津が東北道を疾走する、ロードムービー風のイメージが映像で浮かんだのだと。
「結局、私は関係の歪みやズレに興味があって、毎日一緒にいる桜介と波留にもわかりあえないものは当然ある。誰に聞いても人格者だった戸川が殺されたのも、『何か悪いことをしたから殺された』という、単純な構図では全くないわけです。
ただ、一時的な逃げ場や隠れ家を提供する側の人間と、その子の一生に責任を持つ親を同列視し、『毒親より疑似家族』と安易に礼賛する風潮も、私はフェアではないと思う。それよりはその子を思うがゆえに起きた悲劇や、良かれと思ったことが招いてしまった不幸や悲しみを描き、その渦中でかき消された声なき声に、耳を澄ませたいんです」