夫婦の形はいろいろあれど、どうして夫や妻のグチには他人が共感する「あるある」が存在するのだろうか。
映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』には、そんな共感ポイントがてんこ盛り。しかも既婚者はもちろん、結婚目前の人や、独身主義の人の「あるある」までもが登場しカオス状態。
「あるある!」と笑えるのは他人事として傍観しているからだが、あまりにリアルすぎていつしか自分と重なり、冷や汗がタラリ。「コレって自分にも当てはまるんじゃ・・・」とだんだん怖くなる。
笑ってゾッとして、なのにどこか清々しい気分になれるこのストーリーの魅力を女性側の目線で読み解いてみた。
エグいけれど笑える妻の本音に、女性は共感
SNSが当たり前になる以前なら、妻たちが集まる女子会がもっぱら夫どもに対するグチ大会だった。「あるある!」「だよね~」「うちも!」と出るわ、出るわの賛同意見。
でも妻だって忙しい時代。予定をすり合わせての女子会は、だんだん実現が難しくなる。次第にグチは匿名のSNSに主戦場を移すのだ。
もちろんその背景にはこんな思いもある。いつも同じメンバーでのグチ女子会には、ちょっとしたマウンティングがあって面倒なのだ。「ウチはヨソより幸せか、不幸か」なんて考えながらグチる女子会では、結局のところ本音にはなれない。
しかもコロナ禍で、リアルでは以前ほどは会いにくい。となれば匿名OK、24時間受付中のSNSに、本音炸裂の投稿があふれることになる。
家庭では良い妻、SNSでは夫に対する毒舌投稿。コレ、けっこう「あるある」だ。岸井ゆきの演じる日和も、そんな一人。
ソファの隙間にクッサイ靴下を押し込んだままで平気な鈍感亭主、香取慎吾演じる裕次郎の”世話”をしながら、良い妻仮面の下に鬱屈した本音を押し隠している。その仮面を外すのはSNS<旦那デスノート>の中だけ。投稿内容はどれもエグいが、女性なら共感しきりで爽快感すらある。
ふとしたきっかけで、その書き込みを裕次郎が知ったことで、夫婦関係はジェットコースターのごとく急激に変化していく。このままふたりは終わってしまうのか・・・・・・、とやきもきしながらも、観ていてちょっと笑ってしまう。
グチらなきゃ夫婦なんてやってられない
日和の投稿は、文章のトーンが静かなだけに、辛辣だ。どこまで本気かわからないような殺意すら感じる。う~ん、怖い。
でもこの感じ、既婚者ならわかるはず。ハッキリ言って、グチらずに夫婦なんてやっていられるかと、思う場面も多いだろう。
もちろん、妻だけでなく夫だってグチはある。まったく他人だった二人が生活するわけだから、不満が出ないほうがおかしい。
ただ、グチは顔の見える友だちに相手をしてもらうほうが良いような気がする。なぜなら、少しは加減して話すからだ。
夫のみならず誰かの悪口は、聞き手の反応もあって、話しながらも罪悪感が生まれる。そこでブレーキがかかるのだ。「今の、ちょっと言い過ぎたな」「そこまで言わなくてもいいよな」と冷静になれる。