9月6日、日本テレビ系の『ザ!世界仰天ニュース』で1996年1月に亡くなった昭和の超人気芸人・横山やすしの特集が放送され、ツイッターでトレンド入りするなど話題になった。やすしは酔っ払ったままテレビの収録に向かい、番組中に「ドアホ!」などと不適切発言を連発。愛人問題をワイドショーに追及されると、「俺はな、だいたいな、競艇場の近くに今まで女おんねん。(愛人が)江戸川だけとかって言われてみ? 木更津の女どうすんねん。出すんやったらみんな出せ言うねん。かまへんから」と開き直るなど現代では考えられない破天荒な芸人だった。
数度のコンビ結成、解散を繰り返した横山やすしは1966年に西川きよしとコンビを組み、翌年『上方漫才大賞』の新人賞を受賞。1970年、1977年には同大賞に輝き、関西を代表する人気漫才師になった。私生活ではタクシー運転手へ暴行するなどトラブルが絶えず、謹慎生活をしたこともあったが、それさえもネタにして笑いを取った。劇場に立つだけでなく、『プロポーズ大作戦』『スター爆笑Q&A』などテレビのレギュラーを多数持ち、高い視聴率を稼いだ。芸能記者が解説する。
「やすきよが売れる前はお笑いの地位が低く、芸人を目指す人たちも少なかった。その時代に、八面六臂の活躍をして『漫才でも食える』と若者に夢を与えた。1980年に漫才ブームが起きたのは、やすきよを目指した若手が台頭した結果でもあった。お笑い界の拡大、吉本興業の成長はやすきよなくして語れません」(以下同)
1982年、やすしが司会を務める『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日系)に松本人志、浜田雅功が『ライト兄弟』というコンビ名で出場。やすしはブラックユーモア中心の2人の漫才を酷評した。のちに、松本が著書『遺書』(朝日新聞出版)で〈オレは何度も手が出そうになったが、とりあえずガマンすることにした(殴っといたらよかった)。番組が終わってからも、漫才とはこういうもんだとお説教が続いた。〉と書いたことで、当時の出来事がクローズアップされた。
「松本が当時そう思ったのは事実でしょう。ただ、文字のみで伝わったので、キツく感じられてしまった。『ダウンタウンのごっつええ感じ』では『やすしくん』というコントで、やっさんをネタにしていました。ちょうどやっさんが亡くなった辺りに放送されていたため、ちょっと騒ぎになりましたが、本当に大嫌いだったら取り上げることなんてしないと思いますよ。2011年にはダウンタウンがMCの『爆笑!大日本アカン警察』で、若手時代に『ひょうきん予備校』(いずれもフジテレビ系)でやすしと絡んだシーンが放送されています。世間が考えるほど松本にやすしへの嫌悪感はないのではないか」