放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、落語にとって冬の時代だった1980年代から、2005年のドラマ『タイガー&ドラゴン』が生まれるまでを綴る。
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創業150周年という老舗・明治座で3日間、私の企画プロデュースで日替り公演。連日の大入りは有難い限り。中には前売り即完売の「私と爆笑問題、サンドウィッチマン、ナイツ」という東京の笑芸マニアには夢にまでみたマッチメイクまで実現。
さまざまな企画もあったのですが感動的だったのは「文夫の部屋」でお招きしたゲスト宮藤官九郎、横山剣との3人トーク。勘のいい人、芸能IQの高い人はすぐにお分かりでしょう。そう、2005年のドラマ『タイガー&ドラゴン』です。ここに至るまでには長い過去の話がありまして……まさに“オレの話(噺)をきけ”であります。
1980年に「漫才ブーム」が吹き荒れます。私はその前から親しくしていたビートたけしと『オールナイトニッポン』をスタートさせ『オレたちひょうきん族』も一緒にやりました。そうすると昔からあった演芸の王者「落語」の影が薄くなります。これはまずいとフジテレビの横澤、佐藤両氏と深夜若者向けに『らくごin六本木』を始めます。私は構成とついでに司会。5年以上やりましたが大して話題にもならず……しかし、この番組から小遊三、米助が少し脚光を浴びます。
そんなさなか立川談志が師匠小さんとケンカして落語協会を飛び出します。マスコミはここぞとばかり談志を叩きました。弱っているときいていたので、すぐさま私は駆けつけ、たけしと共に弟子入り。一気にマスコミは談志サイドに。
私は作家をやりながらこの時代、キチンと噺を稽古し現代的なギャグを放り込んだ古典落語を量産し、あの紀伊國屋ホールで10年間独演会。速記本からCDからもの凄い売れた立川藤志楼です。漫才ブームの1980年代「落語」で話題になったのは、36人抜き真打の小朝と新作の革命、円丈。そして私の3人だけです。
この3人をみて落語界に入ってくるのが、のちの昇太、志らく、談春らです。草木も生えなかった1990年代2000年代。私は才気あふれる売り出し中の作家・宮藤官九郎に「3日間、劇場はいい所押えるから志の輔、昇太、志らくに新作を書いてくれないか」と頭を下げました。若き才能は若き演者と手を組むべきと考えたのです。
1年後「これでいいですか」と企画書を持ってきます。『タイガー&ドラゴン』。クドカン曰く「噺家が落語やるより、ジャニーズが落語をやった方が話題になりますよ」。
文句なし。曲も横山剣の『タイガー&ドラゴン』。この日から寄席に客がもどってきた。
※週刊ポスト2022年9月16・23日号