2017年のディナーショーを最後に活動休止状態にあった歌姫が突然、沈黙を破った。中森明菜(57才)が8月30日、公式ツイッターを開設した。
《長い間、ご心配をおかけしており申し訳ありません。ほんの少しですが、体調が良くなってきましたので、この度、お手紙を書かせていただこうと思いました》
というメッセージを配信し、復帰を待ち続けたファンに謝罪と近況報告を行った。
2010年に免疫力の低下を訴え、帯状疱疹を患った明菜は長らく芸能活動を休止。2014年末のNHK紅白歌合戦に出演した際に一度は「完全復活」を宣言したものの、その後も表立った活動を行うことはほとんどなかった。しかし今回公式ツイッターを立ち上げ、新たな個人事務所を設立。本格的に始動するのは12月以降になるようで、紅白への出場に俄然注目が集まっている。
1982年にシングル『スローモーション』でデビューした明菜は、小泉今日子(56才)や松本伊代(57才)、早見優(56才)らと同期の“花の82年組”。その後も『少女A』『セカンド・ラブ』などが次々にヒットしたが、意外にも紅白の出場回数は8回しかない。同時代に人気を博した松田聖子(60才)の23回の半分以下である。芸能ジャーナリストが解説する。
「デビュー翌年の1983年から1988年まで明菜さんは6年連続で紅白に出場しました。ところが、1989年7月に当時交際していた近藤真彦さん(58才)の自宅マンションで自殺未遂騒動を起こし、一時的に芸能活動を休止。その年の紅白出場を辞退したことで連続出場がストップし翌年の紅白も出場を辞退しました」
当時、明菜は辞退の理由を気丈にもこう語った。
「紅白はデビューのときから目標にしていた音楽イベントです。復帰して間もないうえに、ステージ経験がまったくない状態で出たら失礼になる」
前出の芸能ジャーナリストが続ける。
「彼女と仕事をした人が口を揃えて言うのが、明菜さんが徹底した“完璧主義者”だということ。早い段階からセルフプロデュースを意識して、楽曲はもとより、衣装やステージにも徹底してこだわった。一度離れた大きなステージに半端な覚悟で出ることは彼女のプライドが許さなかったのでしょう」
明菜が紅白に復帰したのは最後の出演から14年後の2002年。デビュー20周年の節目の年に井上陽水が提供した『飾りじゃないのよ涙は』を披露した。
「東京スカパラダイスオーケストラをバックに歌い上げたダイナミックなステージが好評を博し“奇跡の復活劇”を印象付けました」(前出・芸能ジャーナリスト)
だが、それと前後して金銭問題や事務所トラブルが立て続けに起こり、体調が悪化。再び紅白から遠のいてしまう。救いは海外での日々だった。
「しばらく、自宅に引きこもる生活が続いていましたが、レコーディングなどで海外に行くときは、リラックスして精神的にも安定できたそうです。2014年末の紅白に出場したのも、ニューヨークからの生中継というVIP扱いをNHKが受け入れたからだったといいます」(前出・芸能ジャーナリスト)