9月6日、脳出血で緊急入院した巨人の終身名誉監督である長嶋茂雄氏(86)。次女・三奈さん(54)が〈意識ははっきりしていて、声も力強く元気です〉と発表したことで安堵の声が広がったが、ファンにとっては“ミスター”の元気な姿を早く見たいところだろう。長嶋氏が残した数々の逸話は、いまも私たちを元気にしてくれる。そんなミスターの伝説的エピソードを紹介しよう。【全4回の第3回。第1回から読む】
長嶋氏は数々の名勝負で観客を魅了した一方で、“チョンボ”の逸話も数多くあり、それがまた魅力となった。
1958年のルーキーイヤーは本塁打29、打率.305、盗塁数は37という成績だったが、「一塁ベース踏み忘れ」でホームランを1本取り消されている。つまり、凡ミスがなければ新人で「トリプル3」を達成していたのだ。
「一塁走者だった長嶋さんが、ヒット性の当たりを見て二塁を蹴り三塁に向かおうとしたが捕球され、慌てて一塁に戻ろうとして二塁ベースを無視してアウトになったことが3度もある」(ベテラン記者)といったエピソードには事欠かない。記者の車に同乗して球場入りしたのに、それを忘れて帰りの駐車場で「車がない! 盗まれた!」と大騒動になったこともある。
熱狂的な長嶋ファンの漫画家・黒鉄ヒロシ氏(77)が言う。
「王さんに聞いた話ですが、宮崎キャンプでの旅館に王さんが練習から帰ってくると、旅館の人が困ったと悩んでいる。どうしたのか聞くと、デザートにスイカを出そうと三角形に切り分けていたら、練習から帰ってきた長嶋さんがスイカの上部の甘いところだけ全部食べちゃったという。王さんは“長さんにも困ったものだ”と言いながら全部切り揃えたそうです」
V9が始まる1965年に国鉄から巨人に移籍し、通算400勝を達成した“カネやん”こと金田正一氏は2019年に他界したが、生前の取材でこんなエピソードを明かしていた。
「長嶋ともよく雀卓を囲んだが、本当は麻雀のルールを知らんかったんじゃないかと思っている。そつなく牌を並べたり、ツモや捨て牌もする。しかも楽しそうに打っていた。だが、ワシは長嶋が上がったのを見たことがない。負けてもニコニコしているから文句はないが、ワシの野球人生の七不思議のひとつじゃ」
(第4回に続く。第1回から読む)
※週刊ポスト2022年9月30日号