放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、映画『勝手にしやがれ』を手掛けたジャン・リュック・ゴダール監督の訃報から、『勝手にしやがれ』を歌った沢田研二についてつづる。
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先日ジャン=リュック・ゴダール(91歳)の死が報じられた。何故か心に衝撃が走った。中学時代、何となく見た『勝手にしやがれ』(1960年)。これが自由な撮り方で、今までの映画とは違うなと子供ごころに感じていたら、後にあれが「ヌーベルバーグ」だと周りが言い出した。そうか、「新しい波」なのかと早熟な私は理解した。監督ゴダール、主演ジャン=ポール・ベルモンド。強烈なインパクトを私のハートに与えた。
このコンビは、この後1965年には『気狂いピエロ』を発表し、少年の心を揺さぶり続けた。『勝手にしやがれ』と同じ年に『太陽がいっぱい』(アラン・ドロン)も公開され、フランス人ではない私の周りでもドロン派とベルモンド派に分かれたが、私は断然ベルモンド組だった。ぶさいくとまで言われたあの顔には、えも言われぬ愛嬌があった。
ゴダールの『勝手にしやがれ』をオマージュして1977年、阿久悠が詞を書き、我らがジュリー、沢田研二が歌い「レコード大賞」までとっちゃったのが『勝手にしやがれ』。“やせ我慢の美学”を追求していった曲だ。
テレビで歌う時は帽子を投げるパフォーマンスをみせた。この頃からジュリーは演じる歌謡曲のようなものを作りあげていった。1980年にはパラシュートまで背負った『TOKIO』でド肝を抜いた。
さすがジュリー、私とまったく同じ誕生日、1948年6月25日生まれである。若い頃はよく、双児じゃないかと噂も立った。ベルモンドの『勝手にしやがれ』からジュリーの『勝手にしやがれ』……私は勝手に生きてこうなった。
そして充分大人になった沢田研二は作家・水上勉になってみせる。映画『土を喰らう十二ヵ月』。水上の随筆をていねいに手間暇かけて映像化。長野の山荘で一人生きる作家。山の実やきのこを採り、畑で育てた野菜を自分で料理し、四季を感じながら原稿に時折向かう。ほうれん草の胡麻和え、若竹煮など料理の指導はあの土井善晴だが、実際に作っているのは沢田自身である。
土を喰らうとは生きることと水上も言う。妻に先立たれた沢田のところへ(勿論これはフィクションなのだが)通って来る編集者がこれまたチャーミングな松たか子。君こそ喰らいたい。
日本の四季の恵みを感じる一本。『TOKIO』を離れて田舎暮らし。ウーン私には無理そうだ。もうすぐおいしい日本が公開される。
※週刊ポスト2022年10月7・14日号