中森明菜が活動再開に向け動き出し、松田聖子も苦難を乗り越えステージに立ち続けている。今年の紅白歌合戦は、この2人が揃って歌声を届けてくれるかもしれない。振り返れば、新型コロナウイルスが蔓延し、世の中に絶望感が漂った2020年、松田聖子は明日への希望を込めて紅白3度目となる『瑠璃色の地球』を歌った。実は、中森明菜もこの曲を2002年にカバー、収録アルバム『ZEROalbum ─歌姫2』は大ヒットし、14年ぶりの紅白復帰を果たした。
明菜はデビュー時から聖子の大ファンを公言しているが、“不仲”と書き立てられた頃もあった。聖子が結婚、出産で活動を抑えている頃、明菜は2年連続日本レコード大賞を受賞。聖子が本格的に復帰した1987年から“ライバル”と書く記事が急増した。1989年2月には『FRIDAY』がニューヨークでの聖子と近藤真彦の密会を報じると、当時明菜はマッチの恋人と言われていたため“不仲説”が盛んに飛び交うようになった。
『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で司会を務めた古舘伊知郎は、「番組側は気を遣ったもんですよ。(スタジオに)明菜ちゃんと聖子ちゃんが入るなんていうとね、わざわざ両サイドに(離れて)立たせたりするわけですよ。アメリカとソビエトの冷戦時代を思わせた」(1995年3月12日放送『おしゃれカンケイ』日本テレビ系)と語っている。
だが、この時の『おしゃれカンケイ』に出演した明菜は、「あれは作り話です。私、聖子さんのレコードほとんど持ってます」と告白。カラオケでモノマネをしながら『白いパラソル』を歌った。聖子は雑誌で「不仲ということはもちろんないわけで、どういうふうに言えばいいかな、認めあっている仲かしら。(中略)歌も素晴らしくて、私も大好きなんです」(1989年8月31日号『週刊明星』)と称賛していた。
事実、明菜が1年ぶりに復帰した1990年には『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)のパーティで2人は熱い抱擁を交わしている。2005年にも『HEY!! HEY!! HEY!!』(フジテレビ系)で明菜の提案からボウリング対決が行なわれ、視聴率15.4%を獲得した。
激動の1980年代を生き抜いた聖子と明菜は、互いを認め合う“同志”だった。以下、当時の2人のエピソードを振り返ろう。
バブル前夜に萌芽した歌姫たちの人気と評価
1980年代、NHKは無作為抽出で幅広い年代に「好きな歌手アンケート(男女別)」調査を実施し、紅白出場者選定の参考にしていた。松田聖子はデビューの1980年、引退フィーバーの巻き起こった山口百恵を抑えて、いきなり3位にランクインした。翌年は4位、翌々年は2位になり、1983年には圧倒的な歌唱力を誇った森昌子や都はるみを抑えてトップに躍り出て、時代を象徴する歌手であると証明した。
一方の中森明菜は、1982年に13位でスタート、その翌年は4位にまで躍進。1984年から3年連続で2位となり、調査方法の変わった1987年も石川さゆりに次いで2位に輝いた。演歌勢が上位を占める中、2人はともに抜群の人気を誇った。