9月19日に国葬が行われたエリザベス女王(享年96)。歴史と伝統を誇るイギリスの女王としての重責は、想像もつかないほど大きかったはずだ。家族や多くのお付きの人間に囲まれ、国民のみならず世界から敬意のまなざしを向けられていたとしても、自分以外に「英国女王」を担える人間はいない──70年の孤独と失望に耐えるには、「体の健康」にもまして「心の健康」が不可欠だった。
1926年4月21日生まれのエリザベス女王の運命が大きく変わったのは1936年。この年、国王となった伯父のエドワード8世が離婚歴のあるアメリカ人・シンプソン夫人と結婚するため退位し、父のジョージ6世が即位した。伯父の「王冠を賭けた恋」により、女王は大英帝国の王位継承順位第1位となった。このとき、彼女は10才にして女王として生きる覚悟を決めたとされる。英王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんが語る。
「自分が王になると思っていなかったジョージ6世は病弱で、ストレスも重なって56才の若さで亡くなります。10代のエリザベスは父と伯父を通して王室のあり方を肌で感じ取った。幼少期の経験が彼女のメンタルを強靭なものにしました」(多賀さん)
1952年、エリザベス女王は「私の人生を常に奉仕に捧げる」との力強い言葉とともに、25才で即位した。「イギリスは女王の時代に栄える」との言い伝えのもと、国民の期待を一身に負っての船出だった。私生活では1947年に海軍士官だったフィリップ殿下と結婚し、翌年に長男・チャールズ王子(当時)、1950年に長女・アン王女、1960年に次男・アンドルー王子、1964年に三男・エドワード王子が生まれた。
第二次大戦後、栄華を誇った大英帝国の威信が低下する中、幼い子供たちを抱えて公務をこなし、国内外を飛び回った。女王として妻として母として、超多忙な日々を過ごしながら「折れない心」をどう維持したのか。多賀さんが指摘するのは、「困難を笑いに変える力」だ。
「彼女は幾多の困難を『笑い』で乗り越えてきました。ポイントは夫の存在で、27才の女王が戴冠式でピリピリしているとき、フィリップ殿下は『あれ、その帽子(王冠)はどこで見つけたの?』とジョークで妻の緊張を和らげました。以来、殿下はいかなる苦境でも心温まるユーモアで、激務を続ける女王を癒してきた。女王もまた笑顔の大切さを学び、プレッシャーやストレスのかかる場面でこそ、ユーモアで心の健康を維持していました」(多賀さん)
ファッションもポジティブマインドを育んだ。若い頃はブルーやイエロー、グリーンなど鮮やかな色彩を好み、年齢を重ねるとホワイトやシルバーに身を包んだ。精神科医の樺沢紫苑さんが指摘する。
「きちんとおしゃれやお化粧をして外出すると、軽い緊張感が生まれて脳が活性化します。他人の目を意識することは大切で、適度な緊張感は認知症のリスクを緩和します」
似合う、似合わないを気にせず、服装を楽しむことが大事と訴えるのは、高齢者の医療に詳しい精神科医の和田秀樹さんだ。
「見栄えが若い服装をすると、気持ちが若返ります。『年寄りの若づくり』なんていわれる風潮もありますが、ポジティブに若返ろうとすると脳が刺激されて、奔放に生きようとする傾向が強くなります。ファッションに限りませんが、人の意見をあまり気にせず、“言いたい人には言わせておけ”と自分のやりたいことを貫くことがポジティブマインドにつながります」(和田さん)
エリザベス女王にとって、ファッションは国民に向けたメッセージでもあった。
「女王は自分のためではなく、国民のためにファッションを準備していました。目立つ原色が多かったのは、自分を見るため何時間も待機している国民に、一瞬で『女王だ!』とわかってもらうため。華やかな原色を見て、国民の気持ちが明るくなることも願っていたのでしょう」(多賀さん)
一方、1947年に結婚した際、終戦後の不況に苦しむ国民は配給券を手に長い行列に並び、生活物資を必死で確保していた。その様子を見た女王は国民感情に配慮して、一般の国民と同じ配給券で入手した絹やレースでウエディングドレスをあつらえたという。彼女の「国民ファースト」を物語るエピソードだ。
※女性セブン2022年10月13日号