日本のプロレス界を牽引し、国会議員としても活躍したアントニオ猪木さんが、10月1日に亡くなった。79才だった。生前の活躍はプロレス界にとどまらず、政界や実業界にもその名を轟かせた。私生活では4人の女性と結婚。絶縁して二度と会わない女性もいたが、激動の時代を共に歩んだ倍賞美津子(75才)とは離婚後も“戦友”のような関係が続いたという。
今年5月、猪木さんは青森県の秘湯・蔦温泉に「アントニオ猪木家」の墓を建立している。
「この墓は2019年に亡くなった妻の田鶴子さんのために建てられました。猪木家の墓は故郷の神奈川県にある曹洞宗の本山にあり、猪木さんもそこに埋葬される予定ですが、田鶴子さんとの思い出がある青森の墓に分骨することも検討されているそうです」(猪木さんの知人)
事実婚を含めて4度結婚している猪木さんの最後の伴侶が16才下の田鶴子さんだった。田鶴子さんはカメラマンとして1990年代後半から猪木さんの写真を撮り始め、2001年に猪木さんの写真集を出版。公私共に彼を支えるパートナーとなり、2013年に猪木さんが2度目の参議院議員になると議員秘書を務めた。
振り返れば、プロレスの枠を超えた猪木さんの活躍の陰には、常に女性の姿があった。1943年、横浜に生まれた猪木さんは13才のとき、貧困を抜け出すため一家でブラジルに移住してコーヒー農園で働いた。
現地を訪れた力道山にスカウトされて帰国し、同期のジャイアント馬場さん(享年61)と共にプロレスラーとしてデビューしたのは1960年。最初の“妻”は、武者修行中に知り合ったアメリカ人女性のダイアナさんだった。彼女との間に生まれた娘は、猪木さんの母と同じく「文子」と名づけられたという。
「猪木さんはダイアナさんと娘を連れて帰国しましたが、巡業で忙しい猪木さんと異国暮らしのストレスを抱える彼女のすれ違いが原因で破局。小児がんを患った文子さんは8才で亡くなり、晩年の猪木さんは、“もっと何かしてあげられたのでは”と悔やんでいました」(前出・猪木さんの知人)
W不倫の果ての壮絶離婚劇
帰国後、『日本プロレス』の若きエースとなった猪木さんの前に運命の女性が現れる。松竹の看板女優だった倍賞美津子である。猪木さんを裏方として支え、後に『新日本プロレス』の隆盛を築いた新間寿さん(87才)が振り返る。
「仲を取り持ったのはプロレスラーの豊登道春さんです。倍賞さんが『トヨさん、たまには若い人を紹介してよ』なんて冗談で言っているときに『それなら猪木がいるよ』と、紹介したのがご縁だったと記憶しています」