2012年、美智子さまの喜寿を記念した特別展に、美智子さまが小学3年生の「眞子ちゃん」にあてた手紙が収録された。それから10年。眞子さんは皇室から離れ、異国の地で生きることを選んだ。帰国の予定はない──米寿を迎えられる「ばあば」に対し、彼女はいま何を思うだろうか。
夜の冷えこみも増し、すっかり秋めいた9月下旬のニューヨークの街。小室眞子さんの姿は、自宅から徒歩15分の鮮魚店にあった。長い髪はコンパクトにまとめられ、黒いVネックの長袖カットソーにデニムを合わせ、肩からはエコバッグと黒いポシェットを下げている。鮮魚店の店員は、「うちはニューヨークでは珍しく、新鮮な海産物を扱っているので、日本人がよく来るんですよ」と話す。
「魚を生食する文化のないアメリカのスーパーでは、日本のように気軽に魚が手に入らないんです。お刺身など新鮮な魚が食べたくなったら、専門店で買うしかない。彼女はポンパノという白身魚とさわらを買っていきましたよ。わざわざうちに来たということは、日本食が恋しくなったのでしょう」(前出・鮮魚店の店員)
誰しも、生まれ故郷から長く離れると思い出すのは、「ふるさとの味」だろう。家族で囲んだ懐かしい食卓の向こうに浮かぶ母親の顔、そして初孫の自分を誰よりもかわいがり、甘えさせてくれた祖母の笑顔──。
この10月末、小室圭さんが7月末に受験した3度目のニューヨーク州司法試験の合格発表が控えている。
「秋篠宮さまは周囲に『4度目の受験は許されない』と漏らされているといいます。今回も不合格の場合には、在ニューヨーク日本国総領事館など、これまでふたりを支援してきた秋篠宮さまとかかわりのある組織からの支援が打ち切られるかもしれません。物価の高騰が続くニューヨークで種々のサポートがなくなったら、ふたりは果たして生活を続けられるでしょうか」(宮内庁関係者)
小室さんが弁護士を目指して渡米してからはや4年。いまだに弁護士にはなれず、法律事務所で事務員として働く。
「小室さんの仕事が不安定であることは、眞子さんの仕事にも影響するんです。夫婦がアメリカに住むためにはビザが必要ですが、小室さんの仕事の都合で、いま眞子さんは現地では職を得ることができない『配偶者ビザ』で暮らしているとされます。眞子さんとしては、これまでのキャリアを生かして美術館や博物館でバリバリ働きたいでしょうが、いまのところは“無償のボランティア”としてしか働けない状態です」(現地ジャーナリスト)
すでに世界最高峰の「メトロポリタン美術館」に展示されていた日本人画家の絵に解説文書を寄せるなどの活動を始めている眞子さん。最近は美術館の職員らと視察に出かけ、頻繁にミーティングを行っていると報じられたが、ボランティアでは思う存分働けないのが現状だろう。
「10月は結婚1周年であるのと同時に、眞子さんの誕生日(23日)も、小室さんの誕生日(5日)もある。まさか1年経っても、仕事も生活も安定していないとは思ってもみなかったでしょう。何より、今年の10月というのは、皇室にかかわる人にとっては、何にもましておめでたいことがあるのに……」(前出・宮内庁関係者)
10月20日、上皇后美智子さまが「米寿」の88才の誕生日を迎えられる。美智子さまのおめでたい節目となれば、皇室内外が広く祝賀ムードで盛り上がることだろう。
「眞子さんは上皇ご夫妻にとっては目に入れても痛くないほどかわいい初孫です。眞子さんは、結婚が足踏みをしたときに寄り添ってくださった美智子さまに、皇室からは離れたけれど、せめて元気な顔を見せたい、お祝いの一言でも伝えたいという気持ちでしょう。
ただ、まさかの想定外で、3回も司法試験を受けることになった小室さんの合格発表がこの10月末に控えています。さすがに今後の生活の見通しも立たない瀬戸際となると、祖母の誕生日のお祝いで日本に帰っている場合ではないかもしれません。眞子さんにとっては大誤算であり、痛恨のことです」(皇室ジャーナリスト)